夢だった演奏会終えリセット
次の自分を求めて
2018年、長い間の夢だったチューチョ・バルデスとの演奏会が終わった。追い続けてきた夢はまるで花火のようだと思った。たった一晩の演奏会のために無我夢中で走ってきた。
演奏会が終わって数日が経つと、その高揚感は疲労感となって心も体も覆っていった。感じたことのない虚無感のようだった。今までの自分が、逆に夢のように思えた。演奏会前でエンジンをフル回転している時には気づかなくとも、コンサートが終わり立ち止まってみると想像以上に疲れ果てていた。
一方、崇高な音楽にただ純粋に近づきたいがため頑張ってきたが、行動すれば行動するほど目の前に立ちはだかるイベント運営や人間関係の問題、国民性に伴う仕事の進め方の特性など、現実に打ちのめされてもいた。心の奥が無数の傷でヒリヒリしているようだった。前を向いて歩けなくなっていた。
さまざまな人がいることも知った。本当に苦しい時にそっと力になってくれる人、華やかな時だけ近づいてくる人がいた。
演奏会は命懸けの気持ちで行った。ただ、終わったあとの疲労感の中では、音楽というものは、何一つ手に取れる形で残らないものだと感じた。それが音楽の実の姿だと思う。録音や映像、功績を称えるトロフィーがそこにあったとしても、音楽そのものはもうそこにはない。音楽は、生で鳴り響いている時だけ生きているのだ。
ぼんやりしたまま半年ほど過ぎた。地球のどこで暮らして、どこに向かって生きたいのか。自身という人生の輪を一巡し、また振り出しに戻ったと感じた。ならばリセットして、今あるものを手放し、自分が最も納得できる環境、日常に静寂がある場所を探しに行くことにした。
まず、スペインで最も好きな街、サンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れた。そこはキリスト教世界三大聖地と言われるサンティアゴ大聖堂がある。辛い時、幾度も訪れていた場所だ。町には友人や馴染みのお店が少しだけあった。
その後キューバに日本大使館主催のコンサートの演奏のために行き、その後チリに暮らす友人を訪ねた。陸路で3日かけてアタカマ砂漠を縦断し、アンデス山脈に沿ってボリビアへ越境した。アタカマ砂漠は世界で最も雨が降らない場所だが、一年に一度あるかないかという大豪雨にあった。その時、砂漠に虹の橋がかかった。虹を見ながら、ふと「サンティアゴ・デ・コンポステーラと京都の2点を拠点に暮らそう」と心が決まった。