毎日の通学が探検
長久手小学校
芸大官舎から長久手小学校への通学路は片道4キロもあった。よほどの理由が無い限りバスや車での送り迎えは認められず、原則徒歩だった。
通学路は、当時の自分にとっては宝物にあふれた場所であり、毎日の通学がまさに探検だった。世間ではおそらく危険で駄目だとされていることを一通りやってみた。通ってはいけない道をあえて通り、登ってはならない丘を登り、入ってはならない穴に入った。
長久手の「久手」が沼地という意味であるようにきれいな沼がたくさんあった。長久手古戦場の辺りは大雨時によく浸水し、時には膝まで漬かって歩いた。トヨタ博物館の辺りは沼や不思議な地割れをした谷があり、谷の底を歩くのがスリル満点だった。
また、アカシアの葉を小さくして吹き飛ばして遊んだりしたほか、お腹が痛くなるほどスカンポを食べ、春になれば夢中になってツクシを摘んだ。数時間後に下校した上級生に追い抜かされることもしばしばあった。通学路の周りの自然環境の美しさ、素晴らしさに魅了され、すっかりそのとりこになっていた。
毎日が遠足のようだったが、本当の遠足もまた面白かった。行き先は農業総合試験場か愛知青少年公園(現愛・地球博記念公園)だった。小学校から自宅を通り過ぎ、更にその先に位置している。まずはいったん小学校に登校し、再び同じ道を戻って大学官舎の前を通りすぎ目的地へ向かった。お弁当を食べ終わると再び小学校へ。
小学校からの帰宅を含め2往復以上し、およそ20キロメートルは歩いたはずで、まるで厳しい山々で修行する修験道(しゅげんどう)のようだった。
振り返ると、自分の足で歩いて四季の移ろいを1日ごとに確認していたと感じている。これが私の今の音楽の根源になっている。目を閉じると、その当時の匂いや体験が心の中で音として立ち上ってくる。いわば自然の形や香りそのものが音楽のように感じるのだ。だから私は今も具体的なモチーフや風景がないと曲を書くことができない。
音楽は絵と同じ。そんな音を聞いてくれた人が、忘れがたい情景や風景を思い浮かべてくれるといいなと考えている。