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中部経済新聞連載「マイウェイ」第22回

長久手の風景を音でスケッチ

最後のＣＤづくり
　京都に移り住んだものの、ピアノもアルバイトもうまくいかず、「こうなったらやけくそだ」という心境になっていた。幼少からピアノを弾いてそれまで生きてきた証拠品だけでもつくってピアノをきっぱり諦めようと思った。そこで自分で作曲、演奏してＣＤを自費制作することにした。
それまで作曲は未経験だった。クラシック音楽界では、ピアニストが作曲の領域に触れてはならないという雰囲気があったからだ。
しかし、どうせ金輪際ピアノはやめるのだから、もう関係なかった。悔いなく最後くらいやりたい事をやろうと考えた。音楽の理論も無視して、自分が良いと思う音楽を自由に作曲することを決めた。録音場所は、今まで過ごした国で最もインスピレーションを与えてくれたキューバとコロンビアのスタジオにした。
「昔から一緒に音楽を共に奏でてきた友人たちにも加わってもらって録音しよう！」「川上ミネ・ラストアルバムを作ろう」。そう思ってからは、片端から翻訳や通訳のアルバイトをしてお金を貯めた。友人知人にも頭を下げて１００万円をかき集めた。それを持ってキューバへ渡った。
もう無理して弾けない曲を弾かなくてもいい。自分の手のサイズと腱鞘（けんしょう）炎の症状に合わせて弾きやすい曲にすればいい。本番のレコーディングでミスタッチしても、その音を楽譜に書きかえればいい。私が作った曲だ。どんな世界を作ろうが自由なのだ―。そう思ったら心と体を閉ざしていた鍵がガチャッと開いた。急に体内に空気が入り込んできたような気がした。
キューバはあれほど戻りたかった音楽の国だ。日本に帰国して以来、沈黙のみ聞こえていたが、急に耳の中が多彩で生命感ある音楽であふれ出した。真っ黒で恐怖の岩のようだったピアノが口を開けて笑い始めたように感じた。ピアノで音が出ない鍵盤からも音が聞こえてくるようだった。
自分の生まれ故郷である長久手市の風景や懐かしい思い出を音でスケッチしていった。愛知県立芸術大学の校舎の森の音、通学路で見た空の色、幼なじみの友達と一緒に登った丘から見た雲、弟と留守番しながら聞いた雷鳴…
夢中で作曲を始めて１週間ほどたった。ふと、自分の指が全く痛くなくなっていることに気がついたのだった。

• 2023年03月27日(月)17時51分