送られた言葉に支えられ
2人の恩師
2人の恩師がいる。その一人がミュンヘン音楽大学時代の恩師、クラウス・シルデ教授だった。愛知県立明和高校(名古屋市)に通っていたころシルデ教授の音の響きに出会う機会があり、学びたいと思ったのがきっかけだった。
シルデ教授は作曲者自身が書いた自筆譜を検証して、作曲者本人の原典に近づこうとする徹底した研究をされる学者であった。もちろんピアニストとして、教育者としても国際的に名をはせている教授である。当然に雲の上のような存在だった。
帰国して、ドイツ人ピアノ講師のアシスタント通訳の依頼を受けた。偶然にその講師がシルデ教授だった。10年以上もたってたまたま再会を果たした。
通訳の仕事は、レッスンの内容を日本中から集まってきたピアニストに伝えることだった。2週間毎日、朝9時から夜7時まで昼休憩の30分を除き通しでレッスンが行われた。この通訳の仕事は約7年も続いた。
ピアノレッスンの通訳は少し特殊だった。音楽の流れに間が開かないよう瞬時に通訳する必要があった。シルデ教授の言葉をある程度予想しながらドイツ語で理解し、同時に日本語に変換して伝える、という作業の繰り返しだった。
一方、自分一人では到底弾き切れない膨大なピアノ曲のレパートリーを恩師の横で学ぶことができた。最高の宝物を得たようなものだった。
シルデ教授から頂いた言葉がある。「あなたは幸せなピアニスト人生を送れる人だから心配しないでうんと悩みなさい」。その後、くじけそうになるたびに思い出す。シルデ教授は2020年に94歳でこの世を去った。
もう一人の恩師は、同じくドイツ時代に出会ったミヒャエル・シェーファー教授だ。当時は35歳と若く、私が初の弟子だった。ピアノレッスンはとても丁寧だった。レッスン以外にも、一緒にビアガーデンへ行ったり自宅に遊びに行き、多くのことを教えていただいた。
実はミュンヘン国立音楽大学に入学し、シルデ教授の弟子になれたものの、その門下生の中でずば抜けて劣等生だった。レッスンは基礎ばかりで、正直シルデ教授に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。そこで当時まだ室内楽講師として教鞭をとっていたミヒャエル・シェーファーに指導教官になってほしいと申し出ていたのだ。
その後、彼はピアノ科の教授に就任した。今では世界中の優秀なピアニストを輩出する名教授として活躍されている。