空間全体が楽器の感覚
大聖堂でコンサート
日本・スペイン交流400年の開会式で演奏会を開いた。舞踏とオーケストラの入ったピアノ協奏曲の初演だった。この曲は、単独でも演奏ができるようにピアノソロ曲として編曲して、その後さまざまな場所で演奏をする機会をいただいた。
曲は四つの場面に展開する組曲。演奏時間は1時間ほどになる。
「月の浦」では仙台藩の侍の支倉常長(はせくらつねなが)を乗せた帆船(ガレオン船)が満月の夜に現在の宮城県の小さな港を出発し、スペインへ向けて大海原に漕ぎ出す場面を表した。「祭」では当時スペインの植民地だった現在のメキシコに到着し、キリスト教と先住民の世界を垣間見ながら大陸を横断する風景を表現。続く「グアダルキビール」は大西洋を渡り到着した美しい南スペインの河口港、「エスピリトゥ」は言葉も宗教も越えて使命を全うしようとした日本人の魂をそれぞれ描いた。
この一連の演奏活動でひとつの意志が芽生えた。目を閉じて聴けば時空を越えてさまざまな景色や物語が瞼の裏に立ち上るようなピアノの音楽世界をつくってみたいと思うようになった。
そのような思いを持って演奏活動を続ける中でも、二つのコンサートが忘れられない。一つはイベリア半島の大西洋側にあるキリスト教の聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂で行ったコンサートだ。大聖堂にはフランスから続く「サンティアゴ巡礼道」を歩いて巡礼者たちがやってくる。大聖堂には巡礼者たちの千年以上に及ぶ祈りと願いが染み込んでいるようだった。ピアノを弾くと聖堂じゅうの壁や柱、彫刻や装飾に音が反射して鳴り響き、大聖堂という空間そのものがピアノになった。まるで祭壇の天使やステンドグラスからもピアノの音が鳴っているようだった。
もう一つ、印象深く心に残っているのがスペイン・コルドバでモスク(イスラム教寺院)として建てられた「メスキータ」での演奏だ。メスキータは千年以上前に建てられた。ピアノの音がまるで深い森の隅々から聴こえてくるようで、林立する柱の間を無数の音の粒が飛び交って巡る。その時も、メスキータという空間全体が楽器になって、そこにある空気を不思議なほど研ぎ澄ませているような気がした。
元々音楽というのは、こういう場所で何かとつながり会話をするために生まれたのではないかと思う体験だった。奇しくもメスキータで演奏会が開催されたのは、震災翌年の2012年3月11日で、そこでピアノソロコンサートを実現したのはメスキータ1238年間の歴史で私が史上初だった。