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中部経済新聞連載「マイウェイ」第2回

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にぎやかな森での暮らし

愛知芸大の官舎
物心ついた頃、周りは芸術家ばかりだった。自宅が隣り合った建屋の一軒一軒で、大人がなにかをつくりながら生活していた。
自宅があった棟にはピアノを弾くおばちゃんや大きな石をノミで削るおじちゃんがいて、隣の棟には正座をして絵を描くおじちゃん、白いパンツを履いて模様を描くカッコいいおじちゃん、林を挟んだ別の棟には歌うおじちゃん、不思議な匂いのする絵を描くおじちゃん、なんだか分からないものを掘っているおじちゃん―。
少し変わったユニークな大人がたくさん暮らしていた。こうしたところで生まれ育ったため、世の中の大人は全員何かをつくっているものだとずっと思い込んでいた。
私の自宅は、愛知県立芸術大学(長久手市)の官舎だった。そして、ユニークな大人たちの正体は大学の教職員だ。大学は1966年に創立され、森と湿原に囲まれた長久手村(現長久手市)の東部にあった。ここを「長久手のチベット」と呼ぶ人もいたらしい。
父の川上實は、長野県小布施町で生まれた。東京芸術大学(東京都)を経て、ドイツで西洋美術を研究していた。愛知芸大の創立と同時にこの官舎に引っ越してきた。後に同大学の学長も務めた。ちなみに私の母も画家だ。
思い返せば、官舎があった森は一つの村のようだった。生活している人も大家族のようだった。自分の親と同じように叱られたり、優しくしてくれた。時に家出したくなり別の家に駆け込んだ。多くの人、森にそっと見守られて暮らしていた。
同い年の友人が時々和紙の切れ端をもらってきて、その紙を編んだり、絵を描いたりして遊んだことを覚えている。星ヶ丘が最寄りの繁華街だったが、行くことはほとんどなかった。生協の販売車が食材を積んで、売りにやって来るくらいで、それ以外の人と接する機会が少なかった。
官舎村はとにかく素敵な場所だった。周りは森に囲まれていて、建物もコンクリートの打ち放し、木造など意匠を凝らしたつくりだった。官舎は大学内にあったため、学生がよく自宅に遊びに来ていた。夜遅くまで両親と楽しそうにお酒を飲みながら、語り合っていた。2階にあった子ども部屋まで学生が笑ったり泣いたりする声が聞こえてきた。常ににぎやかだった思い出が残っている。

  • 2023年03月02日(木)18時56分
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