自転車を買い換えた。
この先一体いつまで京都での引籠り生活が続くのかも、いつ演奏会ができるのかも、いつスペインに戻れる日が来るのかも皆目検討がつかない中、これを自分に与えようと思った。
21年間もこの街に住処を維持しながら、ろくに街を散策した事もなかった。自宅と駅と空港と行きつけの湯葉屋さんとか八百屋さんへの決まった道を行ったり来たりするだけで、家の近くにある路地すら通った事がなかった。
自粛生活が始まって毎日欠かさず雨の日以外は夕方に自転車で2時間ほど走るようになった。
道順は決めない。曲がり角に来る度に直感で行きたい方向へ曲がる。そろそろ疲れた、と思ったら家に戻る。そして一つ、テーマを決める。今週気に入っているテーマは「父の実家の長野の小布施で昔お婆ちゃんが作っていたお味噌汁に近い香りを放つ家を探す」事。一昨日、大徳寺と鞍馬口通りの間にある車も通らないような小さな路地で一軒見つけた。
京都の暗闇の路地巡りは過去の懐かしい思い出と並走する。大人になって一度も思い出したことのない子供時代の一瞬に記憶が超越して重なるのだ。その瞬間タイムワープの魔法の杖が香りと音である事が多い事に気づいた。
コロナは色んな響きを戻したと思う。
夕方7時頃は魔法のゴールデンタイムだ。家々から家族の会話やNHKのニュースが流れて、お母さんが作っている夕食やお風呂場からボディソープの匂いが漂う。連なる木造の町屋の狭い路地は、まさにタイムワープのミラクルロードだ。
ちょっと焦げてしまった焼魚、きっと甘口のカレー、胡麻油で炒めているピーマン。
香りの中にはなんて沢山の思いやりと良き記憶が詰まっているのだろうと思う。
いつものように行って来ますと別れを告げたスペインといつまた再会できる日が来るのか分からない。忙しさのあまり本棚にちゃんと仕舞わなかったピアノの上の書きかけの楽譜は2月のあの時ままだ。日本から戻ったら、また大好きな魚のスズキのお料理するね、と言って別れた学生時代の頃から我子のように可愛がってくれたお婆さんはコロナウィルスにかかって先週呆気なく逝ってしまった。誰にも看取られず、呼吸ができなくなって。自分の順番が来るまで3日も火葬を待ち、棺が炎の中へ移されるのもネット映像。遺灰は宅配でもうすぐ送られて来ると言う。
ベルリンの壁ができた時も、最初はこんな感じだっんだ、という夢を見た。
さて、今日も曲を書くか。
それしか、出来ない。