個性重視する音楽教育
ドイツへ
高校を卒業して数日後、父に連れられてドイツ・ミュンヘンに渡った。2月ごろだった。6月の入学試験までの約4カ月間は毎日、ゲーテ・インスティテュートというドイツ語学校で語学を学び、残りの時間は試験に備えてピアノ練習に明け暮れた。
ミュンヘン国立音楽大学のクラウス・シルデ教授のレッスンは目からうろこが落ちるほど日本流のレッスンとは違っていた。「師匠が弟子に精神を叩き込む」というより、「超越した同業者が未熟な同業者にコツや真髄を教える」ような感じだった。レッスンは沈着冷静。弾けない部分を録音してそれを客観的に分析し、冷静に修正する、という教え方だった。音楽に対する個性を大事にしてくれる分、責任感も芽生えた。
入学試験も独特だった。「古典」から「現代」までそれぞれの時代の曲を任意で選び、ミニコンサートのように審査員と一般聴衆に聴いてもらう。ソルフェージュも書き取りだけではなく、先生が奏でる旋律の続きを自分で考えて即興で作曲する内容があった。好きな作曲家についての意見や自分との関わりを語る試験もあった。
最初は200人ほどいた受験生も、数回の入学試験を経て最終的に私を含め12人ほどになった。私はソリスト演奏家になるためピアノ科に入学したのだが、大学の試験は2年後の中間試験、そして卒業試験の二つ。中間試験で更に同級生の半数が去り、最終的に卒業証書として演奏家国家資格を授与されたのは私を含めて5人だった。
技術・学問面、精神面など多くの分野の指導教官がさまざまな形で学生一人一人に関わってくれた。ピアニストとして生きていけるよう厳しくも温かく導いてくれた。
ドイツの音楽大学の卒業生は、ほぼ100%音楽の仕事に従事する。音大はいわばドイツ国民に正当な音楽を届けるため、音楽家を志す若い人間をサポートする超専門的な教育機関であるという場所だった。
厳しい学生生活だったが日本食レストランでアルバイトも経験した。当時は珍しかった寿司店にやってくるお客は面白い人が多くいて、常連には指揮者のチェリビダッケ、作家のミヒャエル・エンデなどがいた。彼らのぶっ飛んだ発想や会話をそばで感じるのも楽しかった。