道路埋め尽くす乗合馬車
カマグエイ
キューバでの生活が始まった。勤めることになったのは、地方都市カマグエイの国立音楽学校だった。カマグエイはキューバ第3の都市、東西に細長い島国で中央部分の内陸に位置している。
カマグエイは、植民地時代の面影を残す美しい古都だった。首都ハバナと違って観光客や外国人が全くいなかった。旧き良きキューバの姿がそのまま残っているような街だった。 住むことになったのは、街の少し外れの小さな一軒家で、アフリカ系住民一家が暮らす住居の一部屋だった。
1日の生活は、夜明け前に始まった。大家さんと一緒に配給所へ向かい、米や牛乳、パン、石鹸など食料や生活必需品を受け取るのだ。
しかし、配給手帳に記載された通りに物が手に入ることは少なかった。牛乳は、かさ増しするために受け取る人の年齢や健康状態に合わせて水で薄められていた。コーヒー豆も9割が大豆だった。そして、石鹸や油、生理用品などは一度も届くことがなかった。
住んでいた一軒家からは、馬車か自転車に乗って音楽学校に通った。ガソリンが貴重品だったため、街中では車がほとんど走っていなかった。車の代わりに、乗合馬車がたくさん走っていた。毎朝の出勤ラッシュの時間帯には、幹線道路が乗合馬車で埋め尽くされた。信号が赤になり、一斉に馬車が止まる景色は圧巻で見応えがあった。現地の人のエネルギーを感じ、大好きな風景の一つだった。
カマグエイでの生活は、自然と密接にかかわっていた。お惣菜の練り物には、カエルやワニの肉が少しだけ入っていた。また毎日断水していたので、雨水が極めて貴重だった。タンクに雨水を貯め生活用水として利用していた。夜はほとんど停電していた。その暗闇の中、貯めた雨水で水を浴びると、ヤモリが一緒に降ってくることもあった。
不便なように思える生活だが、自身の野性的な感覚が研ぎ澄まされるようだった。カマグエイでの生活は、先進国の都市部のようにすべてが整っている環境とは正反対でさまざまなモノが足りていなかった。その分、その時その時の状況に応じて臨機応変に生活することが求められた。そんな生活をするうちに、状況を見極めて即決できる力がついてきたと思う。