中南米の音楽に本質を見る
スペイン生活
スペインのマドリッド国立音楽大学院に通った2年間は、ほぼ遊んで過ごしていた。ドイツで生活していた頃とはまるで対極の生活だった。ドイツ時代は自身の内側に向かうようにひたすらストイックにピアノと向き合う日々を送っていたが、スペインでは毎日おもてを出歩き、片っ端から音楽を聴いて回った。人の演奏を聴くことに重点を置いたため、今まで全く知らなかった音楽の世界に出会うことも多かった。
下宿先があった下町には、スペインに伝わる芸能「フラメンコ」の音楽を聴かせるお店が幾つかあった。移動型の民族「ジプシー」たちがショーの仕事を終えて、深夜に集まるバルもあった。それらのお店に足を運ぶと、明け方まで彼らの魂がこもった歌声を聴くことができた。
中南米のミュージシャンたちの音楽が、街や道端に満ちあふれていた。彼らは「スペイン語」という同じ言語を話す国に出稼ぎにやってきているのだ。出身国はプエルトリコやキューバ、メキシコ、ペルー、コロンビア、アルゼンチンと広範囲にわたるが、彼らが奏でる民族音楽は一様に美しかった。
その音の中には中南米の複雑な歴史を映し出したDNAのようなものがあり、明るく陽気なリズムの中にも光と闇の「倍音」が潜んでいるようだった。
驚いたのは、彼らは音楽家として生計を立てているにもかかわらず、多くが楽譜の読み書きができないことだった。そんなことは気にせずに、いつでもどこでも誰とセッションをしようとも、その場の雰囲気を瞬時に察知し、期待に応えていく。加えて彼らは複数の楽器を操り、歌い、踊った。彼らは皆を音楽で幸せにするもの凄い腕を持っていた。
一方の私は、腱鞘(けんしょう)炎すれすれの状態で、鬱々(うつうつ)と猛練習に打ち込んでいた。取り組んでいたのは、人生で恐らく二度と弾かないような難解な現代曲ばかり。せっかく猛練習してコンサート本番を迎えても、演奏後に受けるのは「終わって良かった」という安堵の気持ちが入り混じった拍手とコーヒー一杯分のギャラのみだった。
その頃、即興も作曲もできなかった自分は、心から納得できる音楽がどこにあるのか見失っていた。スペインで巡り合った中南米の自由な音楽を前に、これからやるべきことと現状の自分の乖離はより鮮明になっていた。