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中部経済新聞連載「マイウェイ」第49回

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ミスタッチこそ創造の源

吟遊詩人
自分を作曲家だと思ったことがない。名乗っては本物の作曲家に失礼だ。表現したい情景を、伝えたい人に聴いてもらう「ピアノ弾き」だと思っている。
昔なら琵琶法師、詩曲をつくって各地を巡った吟遊詩人もこういうタイプの表現家だったのではないか。奇しくも「ミネ」という名前は、中世ヨーロッパのドイツにいた吟遊詩人の「ミンネゼンガー」に由来していると父から聞いた。余談だが、当初は名前が「川上ミンネ」になる予定だった。長久手村役場に出生届を出すと、村役場の職員が「あまりに奇抜なので、考え直したほうがいい」と助言したという。父が悩み抜き「ミネ」と変えたそうだ。ちなみにミンネは中世ドイツ語で「愛」という意味だ。
曲が生まれるきっかけは、情景や思いなど永久保存しておきたい大切なものに巡り合った時だ。乗り物に乗っていたり、自然の中を歩いていると雲のように音楽の全体像がふと心に浮かぶ。
だんだんと具体的な形にして、「今だ!」と思う瞬間に急いでピアノの前に座る。そして、その雲の中身を五線譜に表す。鍵盤を手探りでたどりながら「これだ」と思う音を一つ一つ、炭坑の坑夫のように探る。見つけた音を五線譜という籠の中に入れるイメージを持っている。
京都の竹籠職人から聞いた話をいつも思い出す。職人が複雑に竹籠を編む際、竹の糸が「こっち、あっち」と行きたい方向を教えてくれるというのだ。
私が曲をつくるのも、竹籠職人に似ている。鍵盤が「あのあたり、次はこのあたり」と大まかに教えてくれる。曲というのは、まるで自然の植物や動物と同じ生命を持った生き物のようだ。生を受けて成長し、熟成して死を迎える。たとえ目に見えないところでも生命を営んでいる生物そのものなのではないかと思えてならない。
ただ、音の言うことを聞いて追いかけているうちに度々行き詰まる。前に進めなくなり途方に暮れていると、指が滑って予想外の音に着地することがある。これが実は行き先を見失った旋律に光を当てる音であることが多い。ミスタッチこそ創造の源だと思っている。行き詰まった時、全く予想しなかったところに道を開くための原石が出てくる。人生も音楽も同じなのだと思うのだ。

  • 2023年04月28日(金)17時38分
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