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中部経済新聞連載「マイウェイ」第42回

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心に染みる教会や修道院の音楽

サンティアゴ・デ・コンポステーラ
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラは、ピアノに向かう気力を失っていた自分を優しく包んでくれる場所だった。イベリア半島の北西部、ポルトガルの北側で大西洋に面し、水産業と農業が盛んなガリシア州の市の一つだ。
旧市街は、世界遺産に指定されている。縁あって旧市街の森林公園の前にピアノが弾ける家が見つかった。暮らしてみるとまるで中世の森の中に暮らしているようだった。
サンティアゴ大聖堂は、千年以上も昔から続く巡礼の道の終着地として常に巡礼者を迎え入れてきた。今でも宗教や国籍を越えて多くの巡礼者が、約千キロメートルの巡礼路を歩いてやって来る。街は1年365日、長い旅を終えて目的地に到達したという巡礼者の喜びであふれている。
巡礼は体力も時間も要する過酷な旅だ。第一歩を踏み出すのは、人それぞれに何か深い動機があり、何かを求めやって来るのだろう。足を引きずって杖をついてたどり着く人も多い。終着地である大聖堂内部の聖ヤコプの棺の前には、泣く人、笑う人、放心状態で立ち尽くす人。偽りのない真の人の姿がある。
親しくなった大司教との世間話でこんな話を聞いた。大司教は「多くの巡礼者は、大聖堂の聖遺骨と対面して何か答えを得ることを期待してやって来る。しかし、聖堂内に懺悔室は(ほぼ)ない。それは巡礼者が長く辛い道のりを歩いている段階で、自分自身と対話し、ここに到着する時にはすでに答えを見つけているからだ」と話していた。
自分が毎日続けたのは、町中の教会や修道院を訪れることだった。早朝にはパイプオルガンや修道士の祈りの歌声を聞くことができる。さびついたパイプオルガンの音や年老いた修道女たちの素朴な祈りの歌声は、私の心の一番奥深いところに染み渡った。疲れていた体を潤す清らかな水のようだった。
教会で聴こえてくる音楽は、奏者の顔が見えない。それどころかどこにいるのかもわからない。修道女たちも礼拝堂の奥の格子の向こう側にいて姿が見えない。音がどこから鳴っているのかが分からない空間そのものが祈りのハーモニーになっている音楽世界だ。これが自分にとって一番心が安らぐ場所だった。

  • 2023年04月20日(木)20時57分
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