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中部経済新聞連載「マイウェイ」第18回

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不自由が引き出す音楽の才能

音楽学校
 スペインで偶然に出会った天才ピアニスト、チューチョ・バルデスを生んだキューバに「追っかけ」のように移り住んだ。地方都市のカマグエイで生活を送るうちに、世界中で活躍するキューバ出身の音楽家の大半が天才である理由が分かってきた気がした。それは練習方法や演奏技術という専門的な教育には直接関係がない「不自由な日常生活」そのものの中に散りばめられていた。
現地で音楽学校に勤め始めた。キューバでの教育は無料であることもあり、教え子たちのほとんどが、貧しい地方で才能を見出された学生だった。年齢は16~22歳ほど。週末に実家に戻るとき以外は寮で共同生活を送っていた。
学校にピアノは全部で3台しかなく、鍵盤が88鍵そろったピアノは1台もなかった。ピアノがガタガタで、例えばバッハを弾いてもバッハに聞こえなかった。欠けている鍵盤の音は想像で響かせるしかなかった。
紙が不足し、コピー機も機能しなかった。学びたい楽曲は、国立図書館に行って楽譜を借りた。古紙をかき集めて手作りで製本したノートに五線を引いて、借りた楽譜を一音一音写譜するところから始めた。
初めてベートーベンのソナタを写譜した時に、手を動かしながら知らず知らずのうちに楽曲分析をしていた。今まで気づかなかった作曲家の意図にハッとすることがあった。  ピアノ調律師は盲目の人の職業になっていた。弦が切れても、お願いして来てくれるまで数週間もかかった。気がついたら私も自分で最低限の調律をしたり、弦を張れるようになっていた。
またレッスン中に雨が降れば、雨水が校舎の中を流れた。授業を中断し、皆で歌いながら水を集めた。寮の食事は決して贅沢な物ではなかったが、大きなカボチャ1個を丸ごと茹でて皆で分けあって食べるのだが、思わず踊り出したくなるほど美味しいと思った。
「平和時の非常期間(Periodo especial de la paz)」での生活とは、一切の予測ができない中で生きることだと感じた。唯一頼れるのは、自分の直感力だけ。一瞬一瞬ごとに何をするか判断し、その場にある環境を最大限に活用して動く。
「この生き方そのものが音楽に直結しているのだ」教え子なのに私の何百倍もの才能と可能性を秘めている若い音楽家たちを見つめながら、そう思った。

  • 2023年03月22日(水)18時49分
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