今日のひとこと
今週に入ってから毎日気温が30度を越すようになりました。これから8月にかけてどんどん気温は上がり、今年もまた50度近くに上がるかと思うと・・・。
写真はコルドバから車で南へ1時間半程のところにあるマラガ(の郊外の村)です。
クーロというフラメンコの歌い手の友人がいます。「くーちゃん」というあだ名が付いています。
控えめで心やさしく、日本人のような気配りをする生粋のジプシーの彼はカディス生まれ。今はグラナダで歌を歌いながら暮らしています。
このクーちゃんの歌、私はとても好きです。
自然や心を描写した綺麗な歌詞を歌い、決して前に出過ぎることなく、ギターや踊り手とのバランスに気を配りながらじっくり、しっとりと歌いあげる人です。音程感覚が抜群で、どんな小さな装飾音(こぶしと言いましょうか)も音程が完璧。それこそ聴音の書き取りができそうなほどです。
先日グラナダに行った時に久しぶりにクーちゃんの舞台に行ってきたのですが、週末だった事もあって客席は超満席。
たまたまその時間に仕事が無いフラメンコの音楽仲間もどんどん気軽に舞台に上がってきて、賑やかなセッションが始まりました。
ところが、この「仲間達」。
それまで相当お酒を飲んでいたようで、ドイツもコイツもベロンベロン。
その一人は巨大なジャイアンのような歌い手で、ほとんどタダの酔っ払いのハチャメチャです。その歌手、ジプシー仲間の間でのあだ名も「ジャイアン」です。
この酔っ払いジャイアン。舞台中央にせせり出てきて、踊り手の女の子にはちょっかいを出すし、客席の少女達には投げキスをしたり、ホッペを撫ぜたりする上に、タダでさえろれつの回らない舌なのに更に大音量で別な歌まで歌い出すしで舞台はメチャクチャ。
クーちゃんの歌声はかき消され、それどころかクーちゃんの姿さえジャイアンによって見えなくなったまま、舞台は終わってしまったのでした。
挙句の果てに
「盛り上げてやったんだから、一杯ご馳走しろよな」
と、クーちゃんお財布から5ユーロ札まで巻き上げる始末。
まるでクーちゃんはジャイアンにお小遣いを取られるのび太くんのようでした・・・。
それでも「奴は根は良い奴なんだよ」と決してジャイアンを悪く言わないクーちゃん。たいした歌手です。
今週は気温がグングンとあがって、コルドバでは36度くらいになりました。街路樹のオレンジの花はそろそろ散り始めました。
昨日、一昨日とグラナダの山奥に行く機会がありました。シエラネバダ山脈の雪解け水で豊かに流れる川の水は冷たく、その水をたっぷり吸って山は何処を見てもハーブだらけ。
マジョラム、ミント、イラクサ、ローズマリー、摘んでも摘みきれないほどのハーブで、その道を歩くだけでアロマつつまれて不思議な世界がありました。
グラナダにはフラメンコで生計を立てているジプシーの知り合いが沢山います。
毎回グラナダに行くたびに、彼らの生き方を見ていて本当に感心するのですが、同時にその生き方があまりにも面白くて思わず笑ってしまいます。
その一人にエミリオという人情たっぷり心やさしい素晴らしいギタリストがいます。
このエミリオ、ある日ひょんなことから、友達のジプシー仲間から車を一台譲り受けることになりました。もちろん車検も登録も保険も、そしてもちろん運転免許証もナシです。
この車。相当な年数物のベンツで、4つのドアが全て壊れていて開きません。なので、乗り降りは全部窓からです。
一度5人でドライブに出た時の事。突然窓から一匹の蜂が入り込んで車内は大騒ぎ。エミリオは車道で急停車して、全員が窓からあわてて避難するという、誰がどう見ても怪しすぎる光景となったのでした。
そんなある日、エミリオが車に乗ろうと中をのぞいてみると・・・見知らぬヒッピーがその車の中で寝ていて、起こすのも可哀想だと思いしばらく放っておいたそうです。
それからまたしばらくして車を見に行ったら・・・
「誰かが持って行ってくれたみたいで、よかった、よかった」
と肩の荷が下りたかのようにエミリオは喜んでいました。
その誰か・・・それは、レッカー車だったのでした。
ジプシーの友人を見ていて、いつも素敵(?)だな、と思う所は所有欲がまるでない所です。
ポルトガルの国境に近い街、サモラでのリサイタルに行ってきました。
ほとんど初夏と言ってもいいほど暖かいコルドバから北西に向かって700キロほど行ったところにある街で、春が始まったばかりの美しい季節でした。
演奏会が終わるまではインタビューや番組収録などで本当にバタバタでしたが、全てが終了した翌朝、マネージャーのヘマちゃんも舞台スタッフもまだホテルで寝ている時間に早起きして一人で街を散歩しました。
サモラはローマ人によって建設され、後にイスラム教、キリスト教、とイベリア半島の歴史の中でも、常に重要な位置をしめていた街だというガイドブックの解説がそのまま納得できそうなほど、古い教会や要塞が至る所に残っていました。
地図を持たずに適当に街を歩いていると、ある教会の前に行き着きました。
小さなローマ教会で、まだキリスト教が極端に富だ権力だ政治だ、という道に行く少し前の時代(12世紀ごろ)に建てられたもので、なんの飾り気もない壁にキリストと聖人(?要確認)が彫られていました。
この彫刻が何とも可愛らしいというか、ヘタクソというか、とっても身近に感じるような気がして、思わず久しぶりに顔がほころんでいる自分がいました。
まるで日本のお寺の中にいるような、あたたかい静けさ、荘厳さがありました。
短くて、喜びと悲しみで詰まった人の一生をどこか包み込むような、そんな場所でした。
あまりもの事態に、どんな言葉をもっても、どんな音楽をもっても、この悲しみを表現する事はできません。
何て自然のエネルギーは大きくて、何て私達は小さいのでしょう。なのに、私達一人一人はこんなに小さいのに、心の思いはこんなに大きい・・・。
ただただ、祈っています。
巡礼の道の終着地、サンティアゴ大聖堂。キリストの弟子の一人、ヤコプが眠っているとされる場所です。
昨年は、ヤコプの大祭という特別な年だったので、いつ行っても人・人・人で大聖堂に入るのでさえ待ち時間数時間、という混み具合でした。
私も昨年は、この大祭のお陰で巡礼の道のコンサートツアーをすることになり、ヤコプ様様だったので、年の暮れに一つお参りをしておこうとサンティアゴまで飛行機で行ったのですが、滞在時間があまりにも短かすぎた上に、大聖堂の前の列があまりにも長く、せっかくサンティアゴまで行ったのに、お参り出来ないままコルドバに戻ってきてしまいました。そして、帰りの飛行機で物凄ーーく具合がわるくなったので、これは間違いなく聖ヤコプ様がおイカリなのではないかとマジで思ってしまいました(実は食べ過ぎが原因と言う話もありますが)。
そんな心残りがあったので、今回サンティアゴについた時にはとにかくまず初めに大聖堂に向かいました。
あれほどの人がまるで嘘ではないかと思うほど、サンティアゴの街も大聖堂も静かでした。
中にはほんの数人が静かに祈りをささげているだけで、物音一つしないほどです。
この大聖堂の地下室には、聖ヤコブが入っているとされる棺があって、その地下に入ってお参りが出来るようになっています。
薄暗い地下室なのですが、とても不思議なエネルギーに溢れた場所で、今回は心行くまでこの場所に座ってみようと思い、しばらくその場所にいる事にしました。
ここを「パワースポット」と呼ぶ人が多くいるのが何故か分かるような気がするほど、キリスト教や宗教を超えて何か自然が持つ力強いパワーを感じました。
この地下室で色んな事を考えたり、思い出したりしているうちに、あっという間に時間が過ぎたようで、大聖堂を出た時には外は真っ暗。すっかり夜になっていました。
ガリシア地方は、もともと八百万の神を信じるような土着の宗教が根強くあった地方で、今でも田舎にいくと、村ごとに祈祷師なんかがいたりして、予言をしたり病気を治したりする習慣があります。先祖を大切にすることや、お墓参りをすることなど、スペインの他の地方とは違ってどことなく日本と似ている所が多くあります。
知り合いで、ガリシア人と結婚して物凄いディープな田舎に住んでいる日本人の友人が、
「いやあ~、村中で呪いかけあったりしてるから、もう怖いのなんのって」
と真剣に話していました。
サンティアゴ、行けば行くほど深く面白い場所です。
嵐のような一週間でした。
演奏会や番組収録は無事に事なく運んだのですが、その後至る所で友人に再会して、調子にのって飲み食い倒した自分に心から反省中です・・。
それにしても、この7日間で体感した気温は、ヘレス27度→カディス30度→セビージャ23度→サンティアゴ3度→ポンテヴェドラ2度→コルドバ16度・・・人間の体と言うのは本当によく出来ているものだと感心しました。
それに対して、人間の胃腸というのは、二十歳のころに比べて間違いなく機能が衰えるのだと身をもって実感しました。
食事の美味しい国というのは、ある意味、非常に危険で恐ろしい所でもあります。
まず、南スペインのヘレスでは野生放牧に近い牛のステーキ、カディスでは目の前で採れた天然の大粒アサリの刺身、セビージャでは野草と地鶏をたっぷり使ったジプシー伝統の鍋料理、飛行機で移動した北スペインのサンティアゴでは今が旬のカニと鯖とムール貝、そして漁船から分けたもらった釣り立ての鯛と鱸と活エビ・・・
脱走するエビをかき集めながら皆でワインを飲みつつ料理して、これでもかと食べ尽くしたその晩。
エビに復讐襲撃される夢を見て目が覚めたら、胃も腸も完璧終了状態で、コルドバに戻ってからはお粥が果てしなく美味しいカワカミです・・。
旅先では必ず日記とスケッチを書くのですが、息絶えそうな最終日の日記をめくると力ない筆でこう書いてありました。
「腹も身の内」
明日から南の最果てヘレス・デ・ラ・フロンテラへ2泊、その後北西の最果て、サンティアゴ・デ・コンポステラに3泊行ってくる事になりました。
今年ヘレスで開催されるフラメンコ最高峰のフェスティバルに、日本のフラメンコ舞踏家の小島章司先生が招聘され、その舞台が今週日曜日にあります。
私も小島先生には随分長いことお世話になっています。清水寺の演奏会にも何度か来ていただいたいたり、西麻布で焼き鳥を食べにご一緒させていただいたりして、フラメンコと日本の面白い話を聞けば聞くほど、先生のスゴさに惹かれるファンの一人です。
何か少しでもお手伝いが出来ればと明日、明後日ヘレスに伺う事になりました。
その後月曜日はヘレスからサンティアゴに飛んで、翌日はコンサートと記者会見とテレビ番組の収録です。
ガリシア地方はスペインの中でも人も食べ物も風土も、何から何まで大大大好きな地方なので、楽しみです。
最近ピアノをサボっていたので指が何となくカタマリ気味ですが・・・。
それでは、行ってきます!
コルドバからセビリアに向かって120キロほどの所にカルモナという古い街があります。
スペインの中でも最も古く、紀元前数千年前の石器時代から存在する丘の上に立つ街、カルモナ。
イベロ人、フェニキア人、カルタゴ人、ローマ帝国、西ゴート、イスラム帝国、キリスト教・・・と時の支配民族や宗教を経ながらも常に街であり続けたこの街の礎は遺跡そのものです。
面白いのは、時が変わり支配者が変わり、宗教や信仰神が変わっても、同じ場所に祭壇、宗教施設がある事です。どんな人や時代にもエネルギースポットと言うのは同じ場所にあるのでしょうか。
その街の一角に、ローマ時代の墓「ネクロポリス」がある事は前から知っていたのですが、なかなか行く機会がありませんでした。
日本からピアニストの友人が週末にかけてコルドバに遊びに来ていたので、このネクロポリスに行ってきました。
行ってみて驚いたのは、その規模の大きさ。
そもそも、全体的に見ても墓地というよりも墓都市といった感じです。まだ一部しか発掘されていないそうですが、すでに見つかっている何百という墓の一つ一つに果てしない存在感がありました。
その墓を作った一家の思いや信仰心、黄泉の国への想像力・・とにかく凄いのです。
どのお墓も、人の手で作った深い洞窟のようになっていて、今でもその洞窟の中に入ることが出来ます。その洞窟はまるで、私が想像するイザナミの黄泉の国の入り口のような、地上とあの世を繋ぐ空洞のようでした。
面白かったのは、今も昔も変わらないのはカネモチ派と庶民派の墓の違い。庶民のお墓は、小さくて棺が一つ納まる程度のもので、その横には生贄の動物を捧げる台や、生前愛用していた器などを置くコーナーなどもあって、何とも温かいものでした。
凄いのはローマのカネモチのお墓。家族が墓参り出来るように地下に通じる馬車の通路があり、それも地下2階建の神殿と言った感じです。
死者が葬られている部屋の前には見事なドーム状の地下室があって、そのドームのてっぺんからは細い穴が真直ぐ地上に向かって空いていました。解説によると、この穴は遺族が毎日死者の魂を喜ばせるために地上からワインを注ぎ入れた穴なのだそうです。
また別の部屋には美しい女性が天秤を持っている見事な壁画が残されていました。
この時代のローマの人々の死に対する信仰はどこか日本や沖縄のお墓に繋がるような気もしました。墓参りをして、墓石(と言うか墓豪邸)に酒をかけ、お供え物をして、黄泉の国に思いを馳せるような・・・。
この写真がそのお墓です。埋まるのが私だったら何だか広すぎて寂しくなりそうですけれど。
しばらく晴天続きだったのに、今週に入って雨の毎日です。
雨が降るといつも思うのは、ドイツとアンダルシアの雨雲の違い。
ミュンヘンに住んでいた時、雲があまりにも厚くて重みがあって、ドッシリベッタリと全てを覆うので、まるで青空と地上の間に壁を作っているようでした。天気の悪い日に飛行機に乗ると、雲を突き抜けて青空の層まで抜けるまでにこれでもか~ッというほど沢山の層の雲があって
「これじゃ憂鬱にもなるよな」
と納得した記憶があります。
それに比べてアンダルシアの雲はヤル気がありません。いつもどこかに青空が「フッフッフ」と顔をのぞかせ、時折太陽が顔を出し、そうかと思うと数秒後にはザザーっと雨を降らせることもあります。
昨日、滅多に行かないコルドバ料理のバルに行きました。天気が悪いので傘を持っていったのですが、偶然そのバルに演奏に来ていた友人と再会して、しばらく演奏を聴きに別の部屋に行きました。
戻ってみると、置いてあった傘が忽然と姿を消しているではありませんか。
バルのご主人に傘が無くなった~!と伝えると
「じゃ、よかったら、その傘置き場にある好きな傘を一本どうぞ」
と、バルで食事中のお客さんの傘を快く勧めてくれました。傘は「巡りモノ」なのだそうです。
さすがに人の傘を持っていくのはどうかと思うので、帰りは濡れて帰りましたが・・。
雨が降るとハッピーなのは愛犬ワサ。
どう言う訳か雨や水たまりを見ると興奮するようです。ちなみに本来は全身真っ白なワンコです。
皆さんが眠っている時に見る夢には色や触感はありますか?
私の見る夢のほとんどの場合は色彩豊かで、匂いも温度も味覚もまるで起きている時と変わらないほど具体的です。
更には、「夢を見ている自分」と、「夢を見ている自分を見ている自分」というバージョンもあって、同時に複数の自分が存在する夢もあります。
夢の中で行き詰っていたメロディーを思いついて、「このメロディーを目が覚めた時にすぐに思い出せるように、しっかり覚えておかなくては」と、一生懸命暗記しようとする夢もよく見ます。
中学校の頃までは、「ミネ悪夢シリーズ」と言って、繰り返し見る夢がいくつかあったのですが、その中の一つが「結婚式をしている夢」でした。
自分はウェディングドレスを着ていて、指輪が指にはまる瞬間なのですが、相手の顔は全く見えません。
「とうとう私もこれで終わりだ・・」
とか
「もう逃げられない・・」
とか
「いや、離婚という手段もあるから、バツ一にはなるにしても、逃げ道はない事はない・・・」
などと頭の中は逃げることばかり。目が覚めた時には何が現実かわからず、思わず指輪がはまっていない自分の指を見てホッとする事もあるほどでした。
一体どうして、こんな夢を見るのか・・・本当に不思議です。
そして夕べ。
何たる名案だろう、ついに謎が解けた!と、踊りたくなるなるほど楽しい夢を見ました。
その名案とは・・
「ミシンの森」。
やっぱり分からない・・・。
外はこんなに天気が良いのに、今日も朝から楽譜を起こす作業で籠り中です。
今年から楽譜を出版することにしているのですが、これが思いのほか大変な作業で七転八倒です。
自分が作って録音した曲なんだったら、楽譜があるでしょうと思われるかもしれません。
確かに楽譜はあります。しかし!すでに世に出ている録音を聴くと、全然楽譜通りに弾いていないではありませんか。
その楽譜自体も、いわゆる「五線譜」に書いてはあるのですが、音符の代わりに、
「ここは星みたいな音色を1分くらい」とか
「鳥の鳴き声みたいな音を3回くりかえして、次は花」とか
「温かくてホッとする山小屋の暖炉のような温度感のある和音」とか、もう解読不可能。
こんな楽譜でピアノひけるか~~ッ!と思って、録音した自分の演奏を一音一音書き取りして耳コピしてる自分って一体・・と日々自答しながら作業をしているところです。
だいたい、即興で弾いた音を書きとるという事自体が無意味なような気もするし、とりあえずお茶を飲んで頭をひやそうとか、犬の毛をカットしようとか、余計な事ばかりに気が散って、ちっとも進まないのですーーー。
ああ、誰か私の代わりに楽譜を書いてください・・・。
コルドバはすっかり春になりました。
日中は23度くらいあって、もう街中のレストランやカフェは外にテーブルを出していて人で一杯です。
そんな天気の良い日には街中何処からかパエリアの香りが漂ってきます。
厳密に言うとコルドバで作られる米料理はパエリアではなく「ペロル」と言って、リゾットのようなしっとりした米料理です。
快晴の日曜日、近所の友人がペロルをするというので連絡がありました。
行ってみるとすでに40人くらいが集まっていて、それぞれが持ち寄ったワインを飲みながら生ハムやイワシの炭焼きをつまみつつ、ペロルが出来上がるのを待ちました。
ペロルの作り方はこんな感じです。
①皆でワイワイと野菜を刻む(玉ねぎ・赤ピーマン・アーティチョーク・にんにく・さやいんげん・トマト・月桂樹の葉は必須)
②野菜をオリーブオイルでじっくり1時間炒める
③骨付きのウサギの肉を入れて更に1時間炒める
④水とワインを加えて沸騰したら米、サフラン、塩を入れる
⑤米がスープを吸って膨らんだら出来上がり
2時間かけて炒める行程そのものが、嗅覚の前菜といった感じで、とにかく出来上がるのが楽しみで待ち遠しくて仕方なくなってくるという精神作用がなんともよく出来ているなと感心してしまいます。
場所が変わればパエリアのレシピも変わるので、これが海に近いバレンシアであれば、エビ、蟹、魚介類が入り、内陸のマドリッドであればウサギ、羊、牛が入り、野菜が豊かなリオハやナバラに行くと野菜主体、北のリアス式海岸のガリシアに行くと白ワインとアサリで作るレシピになったりします。
しかしこの日。あまりにもいい天気、あまりにも待ち遠しかった春、そしてあまりにも時間のかかるペロル料理を待ちながらワインを飲み過ぎ、トータルで昼2時から夜10時まで飲み続け、その晩「神様二度とサケは飲みません~」と猛反省しながら苦しさとキモチ悪さに一睡もできず、翌日月曜日は二日酔いにて何も仕事ができないまま終わったのでした・・・。
パエリア。後を引く存在感です。
衝撃のロンドンでした。
セビリア空港から2時間。
ここまで田舎からあそこまで都会へ移動すると、東京を知っている自分でもさすがに圧倒されました。
そしてついに行ってきました。サーカス専門学校。
今の「サーカス」はとても進化していて、曲芸というよりはアクロバット舞踊と言う感じです。世界中から集まった学生たちもそれぞれの個性が爆発的に違っていて、練習風景を見ているだけでも飽きませんでした。大きなホールには空中ブランコから縄、布、輪、様々なものがかけられていて、それぞれに学生や先生が乗って厳しい訓練を受けていました。
以前から計画を進めてきたピアノ+空中アクロバットのコラボが想像以上に面白くなりそうです。
話はさておいて、ロンドンのご飯。面白かったです~!
「美味しい」と言うのは少々抵抗はありますが、スペイン料理かスペイン料理の店しかないコルドバに暮らしている私としては、久しぶりにスペイン料理以外の味が楽しめてとても幸せでした。
厳密に言いますと、コルドバにも中華料理はあるのですが、春巻きを注文するとコルドバ名物「フラメンキン(形状は春巻き、中身はハムカツ)」が出てくるし、イタリア料理に行ってもコルドバ産自家製オリーブ漬けに煮込みうどん系のスパゲッティが出てきて新鮮味ゼロです。
今回のロンドンの滞在で一番心に残った場所があります。偶然通りかかって、何故か吸い込まれるかのように入った教会、聖バーソロミュー教会です。
1123年に建てられたロンドンでも最も古い教会の一つだそうです。教会の中に入ると全く誰もいなかったのですが、親切な神父さんが詳しく中を案内してくれました。
スペインでもロマネスク様式の教会は沢山ありますが、このような様式・雰囲気は本当に初めてでした。不思議な温かさが漂っていて、黒ずんだ祭壇の傍でしばらく動きたくないと思うほどでした。
今回のロンドンで一番お気に入りのカフェは、この聖バーソロミュー教会の中、修道士さん達の生活空間だった「回廊」にあるカフェです。こんな所にカフェを作ってしまう所がお洒落というか、神父さんもヤリテと思いましたが、1000年間の幽霊と一緒にお茶をしている気分で中々良かったです。床には石棺なんかも埋まっていたりして、雰囲気も抜群。これがコルドバだったらミイラも一緒に入っている所ですが、さすが先進都市ロンドン。棺の中身は博物館の方に入っているようです。
写真はバーソロミュー教会のカフェです。
明日から日曜日までロンドンに行くことになりました。
今回は演奏ではなくて、5月にマドリッドで行うリサイタルの準備です。
このリサイタルでゲスト出演してもらいたいと思っているスペイン人アーチストがロンドンに住んでいて、彼女とどんな事が出来るかを具体的に打ち合わせすることになっています。
この女性は、音楽家ではなく空中曲芸を専門とするパフォーマーで、前から是非とも一度一緒にやりたいな、と思っていたアーチストです。
どんな事になるのか・・、また報告します。
それでは行ってきます!
友人がオリーブ農園を持っていて、収穫の手伝いに行ってきました。
お土産に10キロほどオリーブの実をもらってきたので、自分でオリーブオイルを作ってみる事にしました。
結果から言いますと、ありえないくらい、もんのすごーーーーーく美味しいオリーブオイルが出来ました。
スペイン語では油の事を「アセイテ」と呼び、オリーブの実の事を「アセイトゥナ」と呼ぶのですがその名の通り、オリーブの実のしぼり汁がそのままオリーブオイルになると言う事をこの度、身をもって実感しました。
作り方は簡単で、オリーブの実を潰して果汁を出す→しばらく置いておくと果汁が2層にわかれます。上層はオイル、下層は水分。この上層が「バージンオイル」です。
オリーブの実というのは本当に脂ぎった実で、収穫中に潰れた実を触るとあっという間に手がギトギトになるほどです。
オリーブの収穫と言うのは、どうも私のDNAか何かを奥深く刺激する行為のようで、梯子でよじ登り、実を掴む一瞬一瞬に言いようもない幸福感に満ち溢れ、何時間も我を忘れて夢中になるほどでした。
古代からこのオリーブオイルで明かりを灯し、オリーブの実と油を食し、葉は薬草とし多くの病気を癒し、そして幹は家具となり燃料となり、何一つあますところなくつかわれたオリーブの木。
そんな太古の記憶がオリーブを通して甦るようで、不思議な体験でした。
コルドバの北にはペドロッチェという大自然が広がる緑地帯があります。
ここでは沢山のイベリコ豚が飼われていて、コルドバは生ハムの産地の一つとしても知られています。なので、私が住む家の近所だけでも、徒歩1分以内に6件の生ハム屋さんがあります。
その中で、一軒私のお気に入りの生ハム屋さんがあります。
この店のご主人、カリストは代々続く生ハム屋さんを続けてきている家系の長男で、毎朝40キロ離れた郊外の村から仕事に通っています。
このカリスト、もう一つの顔を持っています。カリストは、コルドバ人なら誰もが知っている詩人。
生ハムを切っている時に言葉が降ってきて生まれると言う彼の詩は、愛や人生についてとても優しくて美しいもので、今では何冊も詩集が出版されています。
なので、カリストのお店にはハムを買いに来るお客以外に、時々文学仲間が集まって、生ハムをつまみながら詩を読み合うちょっとした文学サロンになっています。
それにしても、コルドバの生ハムは中々美味しいです。サラマンカやカタルニアの生ハムとは一味ちがって、味がストレートでコルドバ人が日常一番良く飲むモンティーヤ白ワインと良く合う味です。
生ハムと白ワインと詩。最高のタパスセットです。
写真は作詩中(?)のカリストです。
今日は嬉しかったことが一つありました。
京都府の北、舞鶴市にある産婦人科病院の助産婦の先生からメールが届きました。
お産の時に産婦さんがリラックスできるようにと、アロマセラピーと共に、私の音楽を流して下さっていると言う内容でした。
誕生すると言う特別な瞬間に私の音がお供できるという事に、嬉しくて幸せな気持ちでいっぱいです。
赤ちゃんにとっても、この世に生を受けてから、お母さんの鼓動とお母さんの皮膚を通して聞いてきた外の音を、初めてなんのフィルターもなく直接聞く瞬間。その時に聞く音が、その後の人生に何らかの影響を与えるのではないか、と思う事があります。
母から聞いたところによると、私は雷が鳴っている時に生まれたのだそうです。それだからなのか、今でも地球で一番好きな音は雷です(以前、雷の音が大好き、とブログに書いたら、母から「雷や大雨の災害で困っている人も沢山いるんだから、雷雷雷と書くのはやめなさい」と叱られました・・)。
でも、今思えば昔暮らしたキューバも、何度も滞在した南米コロンビアやボリビアなど、今の自分に本当に多くのエネルギーや曲想を与えてくれる国は全て、雷が毎日のようになる国でした。
雷が鳴ると、まるで大いなる何かに包まれて守られているような、たとえようもない安堵感と安心感に包まれるような気がするのです。
ボリビアのアマゾン地帯を病院船に乗って旅をしたことがありました。
この病院船には婦人科、内科、外科、歯科などの診療室があって、船でしか行くことが出来ない村々を数か月かけて巡回します。
現金を持たない村人たちは、船が到着すると自分の庭でとれた果物や魚などの食料を医者達に渡すことで診察を受けていました。
この時に圧倒的に患者が多かったのが婦人科の診療室でした。
男性が強い社会のアマゾン地方では、女性は常に働き、ほとんどの女性が出産直後か、妊娠中でした。夫が出稼ぎに行った街で買春をしてかかった性病に妻も感染するケースが大半で、流産、死産とは隣り合わせという生活をしていました。
また、13歳くらいから子供を毎年のように生み始めて、25歳を超えるとすでに孫がいる、という人も大勢いました。でも出産した子供の半分以上は成人になる前に感染症などで亡くなると言う事で、私も実際アマゾン川に流れて行く子供の亡骸に出逢いました。
そんな中、忘れられない夜の光景があります。
アマゾン川のほとりにある小さな村でした。
満天の星が夜空に煌めき、数え切れないほどのホタルがアマゾンの森の中で煌めき、森と空の境界線が分からないほどの光の夜でした。
椰子の葉で覆われた質素な家の中をのぞくと、まるで天井からつるされたミノムシのように、何人もの子供が吊寝袋の中に入って眠っているのです。
隙間だらけの壁や屋根からは星やホタルの煌めきが漏れて見えて、森じゅうで鳴くカエル達の口笛のような鳴き声以外は何も聞こえない、不思議で美しい夜でした。
夜になると子供たちを狙って肉食動物や毒蜘蛛などが地面から襲ってくるので、それを避けるために天井から吊った寝袋に入って寝るのだそうです。
その時の子供の安らかな寝顔と光の海の風景が今でも忘れられず、あの子供たちが一人も死ぬことなく元気で大人になってほしいと思い書いた曲が「星空の子守唄」という曲でした。
話は随分それてしまいましたが、舞鶴の産婦人科病院の皆さん、どうかこれからもお元気で、頑張って下さいね!
スエロスという村があります。
コルドバから車で東に向かって1時間ほどの所にある小さな白い村です。
この周辺は自然保護区域になっていて、とても綺麗な景色が広がっています。
久しぶりに晴れた昨日、友人数人とスエロス村で待ち合わせをして20キロほどのトレッキングをしてきました。
年末から沢山降った雨が小川を作り、桜の花によくにたアーモンドの花は満開、羊やヤギ達も柔らかい草を食べながら元気に走り回っていました。
そして今日は・・・筋肉痛で足パンパンです・・。
2日前、友達のお母さん、セリ婆さんが亡くなりました。
91歳の大往生でした。
「5年前に亡くなった主人に会う事がなにしろ楽しみなの」
と最後まで元気に冗談を言いながら亡くなったそうです。
そのお葬式が昨日、コルドバの聖ニコラス教会でいとなまれました。
聖ニコラス教会は800年前に作られた古い教会で、イスラム教とキリスト教が融合した様式の美しい教会です。この教会の神父さんがセリお婆さんの茶飲み友達だったと言う事で、この教会でのお葬式となりました。
午後4時半から始まるミサに合わせて、沢山の家族、友人が集まり教会の中はあっという間に500人ほどで座る席もない程一杯になりました。
間もなくすると、赤いバラの花に包まれた棺が到着。教会の入り口で神父さんの歓迎を受けた後、ゆっくりと教会の祭壇の前に運ばれました。
その棺。母親を亡くした友人から話には聞いていましたが、これが中々大きいのです。
集まった人も口ぐちに「やっぱり婆さんはでかいなぁ」などと言っていて、この入場で一気に和やかなムードに。
セリお婆さんは、ご主人を亡くしてから足を悪くして、家から出ることがなくなりほとんどを自宅で過ごしていました。
でも、料理が大好きで元気で食欲も旺盛なので体重だけがどんどん増加して、亡くなる直前の体重が160キロ。
もしかしたら家から出るのにクレーンが必要かも・・・と家族は心配したものの、特注の棺も間にあって、無事にミサが始まったのでした。
1時間ほどのミサが終わると親しい家族と友人40人ほどで、教会から車で10分ほどの所にあるお墓へと移動しました。
コルドバにはお墓が2つあって、古い方がいっぱいになったので、ほとんどのコルドバ市民はこの新墓地に埋葬されるのだそうです。
こんな言い方をすると語弊があるかもしれませんが、コルドバのお墓はまるで飛行機のクラスのようで、ファーストクラスからエコノミークラスまで、クラスがしっかり分かれています。
ファーストクラスはまるで一軒家のような立派な大理石のお墓で、本人の石像が立ち、詩が書きこまれ、家族の名前も黄金色に打ちつけられていて、木や花が植えられて非常に豪華絢爛。
面白い事に、このファーストクラス墓で一番豪華だったのは、あるジプシーの墓でした。
まるでミニ・タージマハル宮殿のような大理石の建物の上にはその本人らしき石像があるのですが、どうもこの方はトランプが大好きだったようで石像もトランプをしている姿でした。その下には家族の名前がズラズラーっと並んでいるのですが、何故かその名前の中で捥ぎ取られていて読めない名前がありました。
墓の番人さんに訊ねてみると、この人は47歳で若くして亡くなったジプシーで、剥がされた名前はこのジプシーの妻。未亡人となった妻が後に別な人と再婚したことで、死別した未亡人は一生独身であるべきというジプシーの掟を破った事が理由で名前を家族から剥がされたのだと言うのです。
ビジネスクラス墓は丁度棺を覆うほどの面積に立派な墓石が置かれていて、そこには本人の名前や家族の名前が書かれています。
一番一般的なエコノミークラスのお墓は、団地もしくは駅のコインロッカーのような形状。
私も初めて見た時は驚きました。縦は6段、横は50列ほどあって、迷子になりそうな壮大さがあります。
まるでコインロッカーに旅行スーツケースを入れるかの如く、棺をその中に横からスーッと入れ、コンクリートでその入り口に蓋をして、そのコンクリートが固まると小さなプレートを打ちつけます。
プレートには本人の名前と生年月日、亡くなった年齢、写真が彫られ、小さな花瓶も付いています。
セリ婆さんはこの団地墓地に納められました。
ここで、家族がセリの棺を見ながら大笑いし始めました。何事かと話を聞いてみると・・・
実はこの場所には5年前に亡くなったご主人の棺が入っていたのだそうです。
セリが亡くなったその日、兄弟たちがスペイン全国から集まりました。
「とても仲良しのラブラブな夫婦だったので、二人が永遠に寄り添いながらいられるように、お爺さんの遺骨をお婆さんの棺に入れよう」
と言う全員一致の意見のもと、5年前に入れたお爺さんの棺を取りだしたそうです。
すると中から出てきたお爺さんはお葬式でお別れした時の服装のまま、すっかり綺麗なミイラになっていたそうです。
そこで、二人が寄り添っていられるようにと言う事で、棺にお爺さんを入れてみたのですが、セリお婆さんのお腹が巨大すぎて、お爺さんを入れると棺の蓋が閉まらなくなってしまったというのです。
仕方が無いので、お爺さんを少々バラバラにして袋に入れて、できるだけコンパクトに折りたたんでみたところ、セリお婆さんの膝下から足先の上の部分だと丁度納まる大きさになったので、結局二人はそれなりに一緒の棺に入ることが出来ました。
それにしても、セリ婆さんとお爺さんの関係は棺の中でも一緒だね・・・と皆で笑うのです。
私はやっと一緒になれた夫婦、そしてミイラをバラバラにしている皆の姿を想像するだけで、嬉しさとスゴさに涙が出てくるのでした・・。
その後は全員で「お祝い宴会」。
この宴会はお葬式の主人公、つまりセリお婆さんにご馳走になる、という風習があって、深夜までセリ婆さんとお爺さんの昔話に、兄弟たちは笑い、泣き、飲めや歌えの大宴会となったのでした・・。
今頃セリ婆さんも天国で宴会しているに違いありません。