今日のひとこと
今晩、深夜0:15分からいよいよ「大人女子のアニメタイム 川面を滑る風」が放送されます。
・・・が、私は番組が見れません~(泣)。
コルドバでどこかNHKを受信している所が無いか探してみたのですが、ホテルもどこも全て皆無。こうなったら日本に住んでいる友達にスカイプのカメラで無理やり映してもらって見るという方法も考えたのですが、全員カメラ無しあるいは故障中・・。
諦めるしか道はないのでしょうか。
そんな事をしながら、そういえば昔、キューバに住んでいた時にテレビという存在の面白さに驚いたことが懐かしくなりました。
当時のキューバではテレビ局は一局しかなくて、放送時間も24時間ではありませんでした。
テレビを持っている人はわずかで、人気のドラマが始まると皆近所のテレビのある家に行って、その番組をジッと見るのです。
その時の超人気ドラマは「おしん」。
この番組が始まると、街中の人も道路を走る馬車も自転車も姿を消し、まさに街はキューバ人絶滅状態。
ところが、大音量のテレビの音のする家の傍を通ると、家の中に入りきらない人が庭や玄関にまで群がって、普段は賑やかなのに誰もが無口で真剣に「おしん」を見るのです。
ある意味、視聴率100パーセント、あるいはそれ以上です。
この時間帯、街を自転車で滑走するのは本当に素敵でした。
誰一人いない住宅街の道を気ままに自転車で走ると、聞こえてくるのは家々から漏れてくるテレビの音声だけ。何しろこの番組しかやっていないので、何処を走っても聞こえてくるのは、「おしん」のみです。
その時、カマグエイの街そのものがまるで一つのスピーカーのようで、それはそれは壮大な立体サウンドとなる素敵な時間でした。
ドラマが終わると、蜘蛛の子が湧き上がるかのようにまた街は人で一杯になり、しばらくは「おしん」の話で持ちきりになります。
おしんはあんなに貧乏で、あんなに酷い目にあって、しかも戦争でアメリカにあんなにやられて、こともあろうに原爆まで2つも落とされたのに、こんなに頑張って復活して金持ちになって素晴らしい!と、皆が口ぐちに私を褒めてくれるのでした。
初めてキューバの飛行場に降り立ったその日から、私は見知らぬ人から常に「おしん」と呼ばれ続けました。
でも、キューバ人は「おしん」の「し」が発音できず、全員「ち」になるという現象があって、「おちん」と言われ振り向かねばならない事にどれほどの抵抗があったことか・・・。
何はともあれ、「大人女子アニメ」、皆さんが気に入ってくださることを祈っています。
ライアンエアーという格安航空会社があります。
先日セビリアから、この飛行機に乗る機会がありました。セビリアから1000キロほど離れたサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの運賃は片道4ユーロ(大体400円)。自宅からセビリア空港に行く交通費の方が高いくらいです。
セビリア空港に到着するとライアンエアーのカウンターは二つしか空いていなくて長蛇の列。
カウンターに座っているお姉さんも、ヤル気ゼロでコカコーラを飲みながら適当にお客さんを対応しています。
待てど暮らせど自分の番が回って来ないので、先頭がどうなっているのかな、と覗いてみるとどうもカウンターのおねえさんと揉めているのが原因のようでした。それも、一人二人ではなく、次から次へと順番が来る人と揉め、言いあいになり・・・カウンター周辺の空気はかなり険悪。
そして、50分ほど待ったかいあって、やっと私の番がやってきました。すると、カウンターのおねえさんがいきなり目の前で立ち上がって、立ったままコカコーラを飲み干し、飲み終わったコカコーラのペットボトルで隣の長蛇の列の最後尾を指してこう言うのです。
「このカウンターは閉めるので、あっちに並んで」
スペイン人というのはこういう事には中々我慢強くて、皆文句も言わずにもう一つのカウンターの長蛇の列の最後尾に並びました。
そしてさらに30分後、遂に私の番が。
「航空券の控えをプリントアウトしていないので、罰金40ユーロ頂きます。支払いは、後ろの別のチケットカウンターで。支払いが終わったらもう一度並び直すように」
仕方なしに、そのチケットカウンターへ移動すると、そのカウンターも長蛇の列で、皆何かの罰金を払わされていて全員不機嫌。
でも一番不機嫌なのは、そのチケットカウンターに座っているライアンエアーのおねえさんの2人で、とにかく今度は何を言われるのか恐ろしくて仕方ありません。
面白い事に良く見ると、このライアンエアーのチケットカウンターだけがまるで銀行のようにガラス張りになっているのです。
「実は、何度かつかみ合いの言い合いになって、それ以来ライアンエアーの地上スタッフの身の安全を守るためにガラス張りになったんだよ」
と、手荷物検査場で、そこの検査員が教えてくれました。
「この前なんて、車いすの乗客が所持していた呼吸機器が手荷物の規定サイズ外とされて機内持ち込み禁止になってね。その保護者が怒り狂って大暴れしたんだけど、ところがその大暴れした保護者も、大暴れ代という罰金を請求されて・・・ライアンエアーの奴らには人情ってもんがない」
そんな事で、手荷物検査場でも空港職員にもライアンエアーは大不評。
ゲートに入ると搭乗が開始するので、一列に並ぶようにとアナウンスがありました。
その列をまるで軍隊の大将のようなオバサンが後ろに手を組んで、コツコツと歩きながら一人一人をチェックして、少しでも規定外の大きさの手荷物を持っている人を見つけると容赦なく罰金60ユーロ。手荷物が2つの人も罰金60ユーロ。航空券に記載されている搭乗者名のスペルが間違っていれば80ユーロ。
その後、滑走路の近くに止めてある機体まで全員まるでどこかに連行される囚人のようにトボトボゾロゾロと空港の外を2列になって15分近く歩かされ、ついに機体へ到着。すでに棒のようになった足もこれでやっと座席に座れるという段階になりました。
座席は全席自由席で、何処に座ってもOKと言うわりには前から4列目までは座ろうとすると客室乗務員に
「そこはダメですッ!」
と叱られ、何故かそこは着席禁止。なぜですか?とある乗客が尋ねると
「故障中です」
なのだそうです。でも、飛行機の扉が閉まると、乗務員さんたちは自分の荷物を出してきて、その故障席に荷物を載せるのでした。その荷物、どう見ても規定外の大きさです。
おしゃべり好きのスペイン人も口々に「おっかない飛行機会社だなあ」と珍しく文句を言い始めるほどで、怖い乗務員のお姉さんが「シートベルトを締めてください」というと、乗客の一人が
「シートベルトは一本いくら?」
と冗談で言った瞬間・・・機内はバカウケ。でも乗務員のお姉さんの顔は怒りでマジ燃えで、その乗客は睨み返されて、機内は静まり返ったのでした。
でも、本当の苦行はここからでした。もっとも厳しかったのが飛行中の機内。
離陸してから着陸するまでの1時間、男性の乗務員が休むことなく大音量のボリュームで機内販売をするのですが、それがまるでテレビショッピングが市場の叩き売りなのです。
まるで拉致監禁され、密室の中シートベルトで動けないよう縛り付けられた状態で欲しくもない化粧品から禁煙用タバコの話をきかされて、さすがに私も発狂しそうになりました。
そしてついに、目的地サンティアゴに着陸!
すると、先ほどまでの叩き売り大音量よりも更に大音量で「パンパカパーン!」とトランペットのファンファーレが放送され
「おめでとうございます!定刻どおりに到着しました!やっぱりライアンエアーは素晴らしい!」
と、自画自賛までして私達はライアンエアーから解放されたのでした。
安いには安いなりのワケがあるって事ですね・・。
明けましておめでとうございます。
日本から8時間遅れてスペインでも年が明けました。
コルドバの大みそかは大雨でした。
我が家から歩いて1分の所にあるTendillas(テンディーヤス)広場では毎年カウントダウンコンサートが行われるのですが、今回は大雨の為コンサートは全て中止。
でもカウントダウンが始まる10分程前から雨がやみ、沢山の人が広場に集まりました。
スペインでは、年が明ける12秒前から一秒ごとに鐘を聞きながら一粒ずつ葡萄を食べるという習慣があります。
日本人の私には、葡萄の皮と種がジャリジャリ口の中で溢れ返るこの12秒間はなかなかの戦いですが、今年は準備万端です。
葡萄の房から最も小さい葡萄12粒を選別し、全部川と種を向いて、カンペキな状態でカウントダウンを迎えました。
皆さんにとって、2011年が幸せで一杯の素敵な一年になりますよう、心から祈っています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
北スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラから戻りました。
飛行機は超満員で、セビリア⇔サンティアゴは一時間15分という飛行時間ですが、今回はとても長い旅に感じました。
ここの所本当に忙しかったので無理しすぎていたからか、こともあろうに飛行機の中で具合がとっても悪くなり、乗務員席でしばらく横になるほどでした。優しい客室乗務員さんのお陰と、何度も心配そうに様子を見に来た乗客の子供たちの元気な笑い声のお陰で何とか元気になって、セビリアから電車に乗って何とかコルドバの自宅に着いた時には自分にブラボーと拍手してしまいました。
お布団に入る前に一応メールをチェックしたら、東京からNHKアニメの吹き替えが無事終了したとの連絡がありました。
そして、このアニメの主人公の声をしてくださった田中美里さんがこんな素敵なブログを書いてくださいました、と連絡がありました。
http://ameblo.jp/tanaka-misato/entry-10752614907.html
私もずっと田中美里さんの大ファンだったので、こんな素敵な文章を書いていただいたことに、嬉しくて嬉しくて、夢のようで、ありがたくて、今夜は嬉しすぎてとても眠れそうにもありません。
さっきまでの体調がウソだったように、全くもってすこぶる元気になりました!
やっとクリスマスが終わりました。
この期間はマドリッドに行っていました。
スペインもクリスマスも「家族、友人と一緒」という鉄則があって、24日~26日までの3日間、昼・夜・昼・夜・昼・夜と計6回食事会がありました。
胃も肝臓も潰れそうです。毎度加減しようと思うのですが、親しい人に会うとつい元気が出てしまい、調子にのって食べてしまったのでした・・・。
久しぶりに会う友人も沢山いました。
その中の一人にアヌンシアーダというとても仲良しの友達がいます。
彼女はスペイン王国の将軍「エル・グラン・カピタン(El Gran Capitán)」、「塹壕戦の父」としてスペインの歴史を語る時に欠くことのできない人物「コルドバ将軍」の子孫で、スペイン中に広大な土地と莫大な財産をもつ富豪です。
しかも、ただでさえ金持ちな上に、法律家のご主人まで大富豪です。
外交官の彼女は、去年からスロヴェニア共和国のスペイン大使になってしまったので、最近はあまり会えなくなってしまいました。
その彼女がクリスマス休暇でマドリッドに戻ってきていたので、久しぶりに会えたのは嬉しかったです。
それにしても、彼女のお金持ち加減というのは気分が良いものです。
その辺のナリキンの金持ちとは違って中途半端な所にお金をかけません。着る服も、持っている物もブランド物は一切身に着けず、自分にとって本当に必要な物だけをお気に入りの職人に最高の素材で作らせて、それを末長く大事にしながら、必要な分だけしか持ちません。
コルドバ将軍がイベリア半島の様々な所に残した土地は大事に管理し、森林を伐採せず、自然を大事に残しています。
一度、ポルトガル国境に近い所にある「別荘農園」に遊びに行ったことがあるのですが、門から家までが数キロ。
初めはその途中に建っていた家が別荘かと思ったのですが、後から聞くとそれは使用人の家で、本家はそのずっと先にありました。途中にたばこ農園があり、コルクの森があり、オリーブ畑が広がり、滝と川を3,4本越え、何百頭という牛を避けながら到着した本家は、築300年程のとても素敵な小さな宮殿でした。その家の窓から見える景色は・・・四方八方すべて地平線まで彼女の土地という壮大さです。
また、どの家にもお手伝いさんが居るのですが、そのお手伝いさんもアルバイトなんかではありません。代々彼女の家に使える「執事(バトラー)」の家系で、この執事もまた家族全員でその土地を維持管理しながら暮らしているのです。アヌンシアーダにとっては養父母のような存在でもあって、彼らが作る料理ほど故郷の味として美味しい物はないと言っています。
そんな可憐かつ壮大豪華なクリスマスを終えてコルドバに帰ってきた夕べ。
楽譜が山積みになった小さな我家に戻ったら、五臓六腑と頭の力が抜けて、石のように眠りました。
何はともあれ、やっぱり家が一番です。
とか言いつつ、明日から2日間、巡礼の道の終着地、北スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに行ってきます。
日本を発つ一日前の夜、京都大原のベニシアさんの家に遊びに行ってきました。
この日はベニシアさんのご主人、正さんの誕生日。
私のスタジオ兼住居がある京都市内からベニシアさんの家までは車で約40分ほどです。
私はスペインのワインを2本と、たまたま手に入った生の黒トリュフ、友人が作っている「ゆば工房 半升」の湯葉(京都で一番美味しい湯葉だと思います!)を持って行きました。
真冬の大原のベニシアさんの家は暖炉の火でポカポカと温かくて、その暖炉の上にはすでにお鍋の準備がしてありました。
前菜はチーズを暖炉の火で温めたパンでつまんで、その後はお刺身と湯葉の鍋。飲物はシャンパンと赤ワインと日本酒。
数か月会わないうちにベニシアさんは前よりも更にますます綺麗になって、ますます生き生きしているように思いました。
ベニシアさんの家は庭も屋内も、どの場所も素敵なのですが、その中で私が特にいつも行くのが楽しみな場所があります。
それはおトイレ!
古民家が持つ味をそのまま生かしながら解放感と空気が循環するような広い空間で、そこには大きな古い木の棚が一つ置いてあります。その上には素敵な布があって、さらにその上には大きな鉢が置いてあって、中にはいつも溢れんばかりの香りを放つ花が生けられています。
その日は淡いピンク色の花びらがギッシリのバラの花が生けられていました。
バラは一種類ですが、小さい花や大きな花、開いているもの、まだ閉じているもの、散ろうとしているもの・・色々がまるで風が吹いているかのように、野に咲く野生のバラのごとく色々な方向に向いて生けられていて、なのに不思議と一つにまとまっていて、その中心から信じられないような甘くて優しい香りを放っていました。
これはまさしく、ベニシアさんマジックなのだと思います。
彼女の手で生けられた花達が、まるで自分の使命を感じて香りを放ち、散り方さえ美しくなるような・・花にまでそんな元気を与える、そんな魔力を持った人なのではないかと思えてなりません。
そんな事を考えながら、どんどん自分が奇麗になって行くような気さえするそのおトイレで、
「ああ、ずっとここに座っていたい・・・」
と、いつまでも便座の上から離れられなかったのでした。
今回の日本滞在こそはゆっくりして、友達にも会って、毎日ダイアリーも更新して、買い物をして・・・と思ったのに、やっぱりダメでした。
よっぽど私の計画の立て方が悪いのか、未来に対する想像力がなさ過ぎるのか、ひたすら大阪⇔京都⇔東京間を走りまわり、最後の3日間はほぼ徹夜でニッポン滞在は終了したのでした。
その後、スペインに帰る前に3日ほどミュンヘンに行きました。自分へのクリスマスプレゼントの3日間として、前から決めていたものです。
成田発ミュンヘン行きの飛行機に乗った瞬間、
「これでしばらくピアノは弾かなくていいぞ」
と思ったら座席に吸い込まれるように寝たらしく、ロシアの上空で一度目が覚めて、それからまた寝て、フィンランドの上空で目が覚めたら・・・隣に座っていたドイツ人親子に
「それだけ眠れて、我々はたいへんあなたが羨ましい」
と言われたのでした。
窓から見えたミュンヘン空港は一面雪で真っ白で、機長からは「フランクフルト空港は雪で閉鎖、ミュンヘン空港も半分近くフライトがキャンセル、現在気温マイナス15度です」というアナウンス。
ミュンヘンの冬はこうでなくちゃ!!すっかり元気が戻って、到着ロビーに行くと、いつものように、友人のスーザンが迎えに来てくれていました。
大学の5年間を過ごしたミュンヘン。今でも私の心の中の礎の大きな部分を占める街です。
何もわからないまま18歳でやってきて、嬉しいことも辛い事も本当に沢山の事を経験した5年間でした。
どれだけ練習しても上手く演奏出来なくて「こんな事では絶対ピアニストにはなれない」と教授に厳しく言われた事も、悲しくて悔しくて涙を流しながら歩いたら、あんまり外が寒くてその涙が凍りかけたのも、初めて恋したのも、こっぴどくフラれたのも、全部このミュンヘンでした。
なので、今でもミュンヘンの空港についてその空気が体に入った瞬間、全ての思い出が一気に体を駆け巡るような不思議で切なくて素敵な思いがあります。
何度かこのダイアリーでも書いていますが、私のミュンヘンの親友スーザンは音楽家ではなく、小さなホテルを経営する愉快で豪快な女性です。
飛行場に迎えに来てくれた彼女に、今晩は何する?クリスマス市に行ってホットワインを飲みに行こうか?と聞くと、
「今日は家でピアノコンサートがあるわよ!」
とガッツポーズをするスーザン。
えっ?ピアノコンサートって、誰の・・・?
と思いきや、それは私のピアノコンサートで、久しぶりに私がミュンヘンに来ると言うので、近所のジジババさま達がソーセージとハムとパンとビール樽を持って大集合していたのでした。
その後宴は午前4時まで続き、ヨーデルを歌い、クリスマスソングを歌い倒し、20人で100リットル以上のビール樽が空になったのでした・・・。
写真は翌日行ったミュンヘンの中心広場、マリーエン広場のクリスマス市です。
昨日のNHK大阪での収録も無事に終わり、久しぶりに京都の自宅に戻りました。
「ぐるっと関西おひるまえ」という番組は、NHK大阪センターの一階ロビー近くにあるスタジオでの収録ですが、本番前までは14階に控室を用意して頂きました。
この控室からの景色が絶景で、真下には大阪城が見えて、見回すと大阪市と神戸までが一望できる素晴らしい眺めでした。
大阪がこんなに山に囲まれていて、美しい自然の中にあるとは知りませんでした。
収録終了後・・・・京都に戻ってバタンキューでした。
番組音楽のレコーディングが無事に終了しました。
今回はピアノソロ曲とチェロとの二重奏曲の二種類を15曲ほど作曲しました。
寺井創さんというチェリストに演奏してもらったのですが、素晴らしい音色を持った非常に才能のある演奏家でした。まるで旋律が起き上がって動き出すような、何とも優しい音を出すチェリストです。また機会があったらぜひご一緒できたら、と思いました。
今回、素敵な大人の響きの曲が生まれた気がします。
東京で6時間のレコーディングの後、何とか新幹線に飛び乗り西に向かって愛知の実家に深夜にたどり着きました。
両親が寝ずに待っていてくれて、父が育てた大根とサトイモで煮た母のおでんを食べたら・・・、あまりにもの美味しさに全身の力が抜けて、それと同時に貯まり貯まった疲れが吹き出してくるようでした。
私は毎日起きる度に自分がどこにいるかわからないような慌ただしい生活をしているのに、実家には何十年も前から流れている変わらない静けさがあって、向かいの犬は同じように吠えていて、庭の木々も同じように揺れていて・・・一体自分はどうしてこんなに我武者羅になって蜜蜂のようにブンブン飛び回っているんだろう、と思わず考えてしまいました。
父は美術が専門で、愛知県立芸大という大学の学長を長い事勤めていましたが、退職してから百姓となって元気に畑を耕しています(それ以外に文化センターでも仕事をしていまけど)。
父が作る野菜ほど美味しい野菜はこの世にないと思うほど美味しくて、実家に帰る楽しみの一つはこの野菜で作る母の料理を食べ、両親や弟夫婦と焼酎を呑みながら話をすることです。
長い録音がやっと終わってホッとしたからか、翌朝、とうとう体が絶不調となり、最近恒例行事の一つになっている、実家の近所にある針治療に行ってハリネズミのように全身針を受けたら・・・まるで体の中に溜まっていた結び目みたいなものがどんどん解けていくように回復していきました。そして体が軽くなり復活。
その足で大阪まで行って、先月から来日しているミュンヘン音楽大学時代の恩師、シルデ先生と夕食を食べて、調子にのってまたしてもワインを呑み倒し・・・・
スペインに帰ったら断食します。
写真は録音風景です。
明日は東京で1月6日にNHK総合で放送される「大人女子アニメ」のレコーディングです。
帰国して数日間、ろくに寝ず作曲&編曲&練習をしていて少々燃料切れになりそうですが、明日終わったら「まとめ寝」したいです・・・。
今週の土曜日「ぐるっと関西おひるまえ」という番組にゲスト出演することになりました。
NHK総合 午前10:50~12:00放送です。
徹夜明けの物凄い顔して映ってたらごめんなさい・・・。
関西にお住まいの方、是非NHK大阪スタジオにも遊びにきてくださいね。
昨日、日本に戻りました。
マラガを朝5時に出て、9時の便でマドリッドに行って、2時間雪の影響で飛行機が動かなくなり、それでも何とか大雪で半分閉鎖中のミュンヘン空港に着陸して、ミュンヘンで一泊して同級生や近所のおじちゃん達と宴会で山ほどビールを飲んで、翌日の夜のフライトで成田に飛び、さらに大阪伊丹空港行きの飛行機に乗り換えて、伊丹に迎えに来てくれたピアニストの同僚達とそのまま大阪で忘年会へと展開し、結局昨日京都に戻ってきました・・。
疲れすぎて疲れたという自覚症状も無い状態ですが、自業自得だと謹んで反省をしております。
それにしても、乗換地ミュンヘンは冷凍人間になりそうなほど寒かったです。
午後4時過ぎにミュンヘン国際空港に到着したのですが、スペインよりも緯度が高いためこの時期の日照時間は本当に短くて、すでに真っ暗。しかも飛行場が大雪で閉鎖されているため、巨大な飛行場も静まり返っていました。
どこを見ても世界は「白」一色で、一色と言っても、輝く白、影になった白、埃がたまった白、青っぽい白、赤っぽい白、照明に照らされた白・・・と白一つだけで、ここまで楽しいものかと思わず驚いてしまいました。
久しぶりに見るドイツの冬、太陽のない季節。
昔ミュンヘン音大で留学をしていたころ、毎朝真っ暗で雪で凍った道を雪だるまのような格好をして、重い楽譜を何冊も抱えて通った日々を思い出します。
一人ぼっちで歩く寂しくて寒い道からは、暖炉やクリスマスツリーが灯る温かそうな家の内部が見えて、その中には幸せそうな料理を作るお母さんや、子供や犬がいたりして、煙突からは美味しげで温かな煙が立っていました。
それを見る度に何となくマッチ売りの少女のようなミジメな気持ちになり
「いつか私もきっと、あのように温かい家に住むぞ!」
と心に固く誓いながら、毎朝練習に行ったものでした。
その反動なのだとしか思えません。
「どんなに寒いクリスマスでも温かい家」に住む決心が、気がついたら「クリスマスでも寒くならない」キューバへ引越し、そしてアフリカ寄りのスペインに住み着いている今日この頃でした。
一昨日は一泊でしたが、ミュンヘンの夜は楽しかったです。ビールを飲んで、黒パンと燻製ハムとチーズだけという伝統的な夕食ですが、白ビールを飲みながら遅くまで皆でクリスマスソング・ヨーデルを歌った夜でした。
早くも3日後には日本に帰国するので、そろそろ荷造りを始めなくては・・・と思っています。
日本へはスペインから直行便が飛んでいないので、乗換をしなくてはならないのですが、最近はミュンヘンで一泊して、大学時代の友達と宴会して、そこから日本に帰る直行便に乗り換える、というコースで帰っています。
ミュンヘン空港にいつも迎えに来てくれるのはスーザンという、大学時代からの大の友達です。
彼女は自分が生まれ育った伝統的なバイエルンの農家をホテルにして、そこのオーナーとして良く働き、3人の子供を育てている豪快ママです。
3人の子供以外に、元気なお母さんと、物凄く不機嫌なお父さんも住んでいて、犬3匹、ニワトリ4羽、ウサギ36匹も飼っています。
ウサギは当初一匹だったのですが、ある日部屋に置き忘れて旅発ってしまった(?)宿泊客のウサギをとりあえず自分のウサギ小屋に入れて保護していたら、あれよあれよという間に子が生まれて36匹になってしまったそうです。
スーザンと出逢った頃はヤギも飼っていました。
そのヤギは、たしか「ペーター」というハイジもビックリしそうな名前で、それはそれは犬のように賢くて人懐こいヤギでした。
顎には可愛らしいお髭が仙人のようにモワっと生えていて、いつもスーザンにそのお髭を撫でてもらってウットリしているペーターの姿は本当に愛らしかったのを覚えています。
ペーターはいつもフロントの中のスーザンの事務机の下にいて、時々顔を出しては宿泊客を驚かせたり喜ばせたり、皆のアイドルでもありました。
ところが、そのペーターがある日、何の前触れもなくコロっと死んでしまいました。
巨大で、無愛想で、ほとんど何も話さないスーザンのお父さんがペーターの屍を引き取りにやってきました。悲しみに暮れるスーザンには何一つ慰めの言葉を言う事もなく、お父さんはヤギを葬るためにどこかに連れて行ったそうです。
このスーザンのお父さん、実は肉屋さん。
スーザンの暮らす農家の敷地には屠殺場まであって、ホテルで出すソーセージもハムも、全て自家製です(しかも、かなり美味しいです)。
まさか、と思いながらもペーターがソーセージになってしまわないかと心配になったスーザンは、すぐにお父さんの後を追いかけて
「お父さん!ペーターは静かに眠らせてあげてね!」
お父さんからは何も返事が無かったそうです。
そして、スーザンがもうひとつのお願いを頼みました。
「ペーターのお髭を思い出に取っておきたいので、お髭を切ってほしいんだけど」
この質問を聞いたお父さん。何故か烈火のごとく怒ってしまったのだそうです。
それからしばらくしてクリスマスがやってきました。
ペーターのいないクリスマスはスーザンにとって本当に寂しいものだったそうです。
そして、イブの日の事です。
その日の朝もいつものようにフロントの事務机に座って事務仕事をしていたスーザン。
仕事をしながら頭上に、普段感じなかった不思議な気配を感じたのだそうです。上を見てみると・・・。
ペーターが首からハクセイとなって、壁にかかってスーザンを見下ろしているではありませんか!!それもニッコリと笑って・・。
それを見たスーザン、
「ぎょえええええええ!!!!!!」
お父さん、悲しむスーザンが喜ぶだろうと思って、ペーターをハクセイにしてくれていたのです。
今でもスーザンのホテルに行くとペーターは変わらぬ笑顔でほほ笑みづづけています。
先日収録したインタビューが昨日スペイン国営テレビで放映されました。
新アルバム「オ・メウ・カミーニョ」のインタビューです。開始して、3分目ごろから始まります。
http://www.rtve.es/mediateca/videos/20101126/miradas-2---26-11-10/943294.shtml?s1=programas&s2=en-la-2&s3=miradas-2&s4=
テレビで自分の姿ほど見るのが辛いものはないと毎回つくづく思います・・・。
昨日はコルドバ大劇場にホセ・メルセとドランテスとエル・ペレの超大物フラメンコ奏者がやってきました。
ドランテスはフラメンコ色の強いジャズピアニスト、その他の2人は歌い手です。
夜9時開演の劇場は満席で、報道カメラも沢山入っていました。
エル・ペレは地元コルドバの出身のジプシーで、コルドバ人で彼を知らない人はいません。
背が低くて少々コロっとしていながら、休みなく慌ただしく舞台の上を動きながら歌うのですが、強烈なフォルテの声の持ち主で、一秒たりともお客さんを退屈させないという徹底したサービス精神の持ち主。小爆弾みたいな歌手です。
きっとこの人は100歳くらいまで歌い続けて、歌っている最中にプッツリ死んじゃうんだろうな、・・・と余計な事まで考えなら聴きました。
ドランテスは昔から好きなピアニストで、ピアノというフラメンコには通常入らない楽器を匠に使って、ピアノが持つ可能性をフラメンコという土壌で思いっきり花咲かせた天才です。
ある意味エルペレという爆弾とドランテスという爆弾が一緒の舞台で演奏すると、個性がぶつかり合う事によって音楽のエネルギー自体が中和して、どことなく平坦になってしまうような、不思議な作用がありました。
でも、爆弾同士が演奏するのが難しいかというと、これまたそうとは限らなくて、キューバ人なんかはどんなバケモノ級の爆弾ミュージシャンが何人入っても舞台全体をまとめながら強烈に盛り上げて行く事に非常に優れていたりもします。
最後に登場したホセ・メルセは独特の雰囲気の持ち主で、エル・ペレのようなダイナミックで飽きない歌い方ではなくて、ひたすら淡々と歌い続けていきました。ただ、発音がとてもクリアーで、単語一つ一つが間違いなく聞き取れるほど分かりやすく、お客さんも息をひそめて聴くような、そんな雰囲気がありました。
でも、夕べのコンサートで本当に凄いなと思ったのはコルドバの聴衆です。
面白い事に、高級な席ほどジプシーが沢山いて、本当に皆お洒落をして家族で来ているようでした。
ジプシーも一般の人々も、節々に「オレー!」と掛声をかけるタイミングが絶妙で、激しい曲なんかは一緒にパルマスと言って手を打つのですが、その手の打ち方は裏拍子も表拍子も難なく打ちこなし、ほとんどプロフェッショナル。それが1000人以上のホールでのパルマスとなると、凄いエネルギーなのです。
なかなか強烈な一晩でした。
一番良く行くエミリオのバルに、毎日欠かさず通い続けているオジイサンが二人います。
一人はアントニオ、もう一人はペペです。
二人は特に仲良しという訳でも、仲が悪いという事でもなく、来た時と出て行く時にお互い握手をして挨拶をする以外はほとんど誰とも話しません。
毎日アイロンのかかったシャツを着て、いつも同じ飲物を注文し、新聞を3種類一通り読んで、新聞の最後に載っているクロスワードパズルをキッチリやって、テレビを見て、決まった時間になると帰って行きます。
ペペの場合は、地ワインのモンティーヤワインを2杯飲んで、ボカディージョ(サンドイッチ)を食べて、コーラをラム酒で割ったお酒を2杯飲むのですが、いつ見てもこの人の注文するサンドイッチは何て美味しそうなんだろうと思わずにはいられません。
コルドバのボカディージョは日本のサンドイッチのように全く気がきいていなくて、フランスパンのような風貌をしながら小麦粉の味しかしない素朴な棒状で長さ約25センチのパンを横切りにして、その隙間に生ハムを挟むだけのものです。
レタスの一枚もトマトの一切れも、ましてバターや辛子などは一切入りません。
慣れていない日本人が食べると、はじめはパンとの格闘となり、内部に入っている生ハムに歯が辿り着く前に口が血まみれになるか、口中の水分がパンに吸い込まれてボソボソになり断念しそうになります。
ところが、慣れてくると素朴なパンと、生ハムになるまではドングリの森の中を自由に走り回っていた豚君たちの大地とナッツの香りがするような肉とのハーモニーが何よりも美味しく、歯も口もそんじょの事ではへこたれない頑丈なものになって行きます。
さて、ペペのボカディージョの注文の仕方は少し変わっています。
まず、ご主人のエミリオに生ハムの足一本の「この部分」を切ってくれ、と場所を指定します。
エミリオが器用にお皿に生ハムを薄く切って、花びらのように並べて行きます。
ハムを切っている時間、パンを横切りにして、それを丸ごとオーブンで温めて準備完了。
古そうな見事な金の指輪と、煙が立つ煙草を指にはさみながらペペはその熱熱のパンの下半分に丁寧に生ハムを並べて、上半分のパンで蓋をしていきます。
このペペの動作があまりにもエレガントで、ゆっくりで、ついその動きに見とれてしまうのです。
一枚一枚ゆっくりと生ハムを並べて行くその手を見ていると、ああこの人は一体どんな人生を送ってきたんだろう、この指輪はきっと何代も昔から受け継がれてきた大切なものなのかな、一度も奥さんを見たことが無いと言う事は独身なのかな・・・とあれこれ想像せずにはいられません。
ある日、ペペの友達がバルにやってきていて珍しくペペと二人で話に花が咲いていました。
そして隣に座る私に、笑いながらこういうのです。
「ペペと一緒になる女性は運がわるいとしか思えないぞ。一人目は病死、二人目は事故死だからなーー!だからペペには気をつけろよ~!」
こんな会話が冗談話になる所がこれまたコルドバ的です・・。
昨日は日帰りでスペイン国営テレビ局に行って収録をしてきました。
マネージャーのヘマちゃんがアトーチャ駅まで迎えに来てくれて、そこから番組が出してくれた車に乗り込んで局へ。テレビ局に到着すると、物凄い人の山。その人の山が一気にこっちを振り向いたかと思ったら、そのまま物凄い勢いでワラワラーっと車を囲まれてしまいました。
「えええ~っ、いくらなんでも私がこんなに有名な筈はないしーーーッ!!!」
と思ったら
「違った~!やっとラファエルが来たかと思ったのに」
と、思いっきり人違い。な~んだ、と言わんばかりに車からガッカリ離れていくオバサン達の姿を見たらなんだか申し訳なくなってしまいました。
どうやらスペインの大物歌手、ラファエルが収録にやってくる時間でもあったようです。スペインのラファエルと言えば、日本で言う加山雄三ってとこでしょうか。フリオ・イグレシアスと並んでスペインを代表する大御所国民的歌手です。
局に入ると、可愛らしいラウラという女の子がお世話をしてくれて、まずお昼ご飯を食堂でどうぞと案内してくれました。
食堂に行くと、よく見るアナウンサーの顔や別な音楽番組で収録中のフラメンコ歌手や、指揮者などが賑やかに食事をしていました。
ちなみに、この日の定食は:
前菜 ホウレンソウのグラタン山盛り
主菜 鮭のムニエルとマッシュポテトとサラダ
デザート フルーツかケーキかプリン
不思議です。国営系のテレビ局内というのは、何故か共通したオーラがあります。エレベーターの匂いも、食堂の雰囲気も、歩いている人たちのタイプも、果てしなく渋谷のNHK放送センター内のオーラと近いのです・・。
昼食が終わると簡単な打ち合わせがあって、そのまま地下にあるメイク室に連れていかれました。
10席ほどある広大なメイク室には誰もいなくて、真ん中の席に座るよう言われて、そこでメイクが始まりました。
その時です。スペインの加山雄三が入ってきて、事もあろうに私の席の真横に座り、彼のメイクも始まったのです。
よもや、こんな凄い方の横で恐れ多くも一緒にお化粧させていただけるなんて・・・。
左側に座る加山さんからのオーラの凄い事。自分の左手がジリジリするようなエネルギーを感じるのです。・・・ま、私が単に意識しすぎだったという話もありますが・・・。
挨拶をする程度でしたが、これほどのスターになると、顔の作りも姿勢も別な星からやってきた宇宙人じゃないかと思うほど、遠い存在に感じました。
私が出演した番組はPROGRAMA DE MANOという番組で、この番組の司会者は私も前からとても大好きだったので、こんな素敵な機会にお会いすることができてとても幸せな時間でした。スタッフも素晴らしい方ばかりで、本当に和やかでプロフェッショナルなムードのなか撮影が無事終わりました。
この番組は次回、12月5日に放送される予定です。
番組ホームページでも放送されるので、12月5日以降でしたら皆さんにもご覧いただけると思います。ただ、スペイン語ですが・・。
http://www.rtve.es/television/programa-de-mano/
人間のほとんどいないアンダルシアのコルドバから日帰りで人と車と刺激で溢れ返ったマドリッドに行って、最終の新幹線でコルドバに着く時。この瞬間はたまりません。
新幹線のドアが開くと、外は真っ暗で、オリーブオイルを絞っている工場の香りとジャスミンの香りが漂って、駅前に数台タクシーが寂しく止まっている以外は誰もいません。
駅からは徒歩で家に帰れる距離です。家に帰る途中に、ちょっと寄り道していつものバルを覗いてみると・・・いつものおじちゃんたちがいつものモンティーヤワインを静かに飲んでいました。
私がテレビに出にマドリッドに行ったらしいと言う事で、近所のおじちゃんたちが集まってずっとテレビを見てくれていたのだそうです。
「今日ラファエルに会ったよ!」
と話をしたら、普段あまり話をしない人たちまで同世代だからか集まってきました。そして、皆が一斉に聞いてきた一番の質問。
「で、やっぱりあれは整形手術だったか!?あの皺の無さはおかしいと思うんだけど!」
・・・どこの国も、有名人に対する感心事まで共通してるよなー、と思うのでした・・・。
今日はお昼の新幹線でマドリッドに行ってきます。
PROGRAMA DE MANO というスペイン国営テレビの番組にゲストとして出演することになりました。
この番組、クラシック音楽だけを取り上げる番組で、とても面白いので私もよく見ている番組なのですがまさか自分まで出してもらえるなんて・・・嬉しいのと恐ろしいのと半分です。
先月スペインでリリースした「巡礼の道」アルバムを紹介することになって、その中でサンティアゴ・デ・コンポステラと言う曲を演奏するようにとプロデューサーから連絡があったのですが、それも「4分」でおさめなくてはならず、どうするかこれから電車の中で作戦を考えたいと思います。
それでは行ってきます。
来年一月のお正月にNHK総合で放送されるアニメの音楽を作曲することになりました。
金沢を舞台とする大人のアニメで、私も先日帰国している時に金沢に行ってきました。
あの時の女川の表情、空の色、街の香り・・・これらを音で表現しようと頑張っていますが、七転八倒です・・・。
ピアノの前に座ってもでてくる音は「うーーーーーーーーーーーん」の唸り声だけで、なかなか鍵盤の方が動きません。
しかも、考えれば考えるほど思い浮かぶことといえば、金沢で食べた美味しいものの数々・・。
あと一週間で何とか完成させなければ~~!!!
昼過ぎ、偶然グレン・グールドが演奏するブラームスのピアノ曲を耳にしました。
初めて聴く録音ではないのですが、「間奏曲 作品番号118番の2」が流れていて、何気なく耳を澄ました瞬間、身動きが取れなくなってしまいました。
心が揺す振られるような音色なのです。
ちなみに、ユーチューブでも見つけてしまいました。
http://www.youtube.com/watch?v=5JwKDzPlYQs&feature=fvsr
「楽譜に忠実(作曲者の言うとおりにしましょう)」
というクラシック音楽の鉄則からは大きく逸脱する事もありながら、とんでもなく凄いピアニスト、グレン・グールド。
これほどまでに音符と旋律を熟知して、一切の妥協のない演奏。どんな小さな音符たりとも絶対に見逃さず、「適当」な打鍵を許さないガンコ者。
ある意味、かれは作曲家なんだと思います。人が書いた曲で、自分の世界を作る天才。
そのグレン・グールドが奏でるブラームスの間奏曲のこの世のものとは思えない美しさと哀しさに思わず自分の血の流れさえ止まって、まるで全身が耳になったような、そんな瞬間がありました。
そういえば、ミュンヘン音大で勉強をしていた時、音楽史のグルーバー教授というのが、生前のグールドと親交があって、授業でよくグールドの話をしていた事がありました。
・・・でも、内容全然覚えてないよ・・・。
もし私がブラームスだったら、自分の楽譜表記と違う風に演奏されても、自分のメロディをこれだけ美しい曲として奏でてくれるのなら、
「思う存分この曲をネタに好きにやっちゃってください」
って言うかも・・。
突然ですが、今日の午後3時に、弟の2番目の子供が生まれた、という連絡が日本の実家から届きました。
嫁のヨウコちゃん、よくぞやった!!
一人目の子供が生まれる時に、弟から
「姉ちゃん、スペイン語でも日本語でも綺麗な意味のある名前にしたいんだけど、リオってどう思うか」
と相談された数年前。
「リオ」と言えば、スペイン語では川を意味して、何だか雄大で自然体で凄くいいと思うよ、なんて答えたのを覚えています。
その子リオは、名前のとおり、雄大に大きく元気に育っています。・・・が、よく考えてみたら
「川上川」
で、上から読んでも下から読んでも川だらけじゃねぇか!・・・と言う事になったので、今回はどんな名前になるのか楽しみにしていました。今度はどうやら、
「しゅん」
という名前になるそうです。
弟は「カイ」という名前です。弟も私も幼かった頃、言う事を聞かないと、母が
「ミネは山で拾った子、カイは海から拾ってきた子。それぞれの所に帰っちゃいなさい!」
とか言われて本当に恐ろしかった事もあったなぁ・・・。
余談はともあれ、しゅん!笑顔でいっぱいの幸せな子になってね!