今日のひとこと
今日のニュースを見て、思わず笑いが止まらなくなったスペインのサラゴサ地方にあるボルハと言う村で起こった話です。
村教会にはスペイン人画家エリアス・ガルシア・マルティネス(Elias Garcia Martinez)が1910年に描いた「Ecce Homo(この人を見よ)」という壁画があって、痛みが進んできたこの絵を慈善で修復します、という自称画家の老婦人に修復を任せたところ、十字架にはりつけになる前の悲しみのキリストの絵が、お猿になってしまいました、というニュースです。
しかも老婦人は原画に直接描いた為元に戻すのは不可能だそうで、本人は「皆が騒ぎ始めて教会に人が殺到するようになったお陰で間もなく完成する修復が終わらない」と言っているのだそうです。
さらにスペインのニュースはやっぱり凄いなと思ったのは
「お猿となった壁画を一目見ようと、不景気にもかかわらず、村には観光客が押し寄せ、村始まって以来の好景気となっています。」
私も見に行きたい~~!!!!
昨日まで3日間ほど来年の仕事の打ち合わせでバルセロナに行ってきました。
外を10歩歩くだけで汗が滴るほど蒸し暑くて、ビーチはバカンスにやってきた観光客でどこまでいっても人・人・人。
バカンスとは言え、これだけの暑さと人がいる海辺で過ごすというのは相当な精神力が無いと出来ないかも・・とバカンス人がスゴイ人に見えました。
8月に入ってからずっと来年2013年に開催される日本スペイン交流400年のテーマ曲を作曲中で完全に引籠り状態だったので、久しぶりに違う街や人を山盛り見て新鮮でした。
ところで、打ち合わせの後に日本総領事の椿総領事や関係者達とランチに行った日本料理のお店がなかなか美味しかったです。
「ナオさん」という若いシェフがお寿司を握るモダンなお店なのですがお刺身やお寿司はビックリするほど美味しくて、とてもよかったです。バルセロナに行く方、おススメです!思わず二日連続で食べに行ってしまいました。
NOMO
Carrer Gran de Gràcia, 13
電話 934 15 96 22
それにしてもスペインの夏はやっぱり暑いです。
灼熱の国に暮らすスペイン人が開発した一番涼しいこんな日の過ごし方は、窓を閉めブラインドも下ろし、薄暗い部屋で食も少なく、冷たいガスパッチョをグラス一杯飲む程度で出来るだけ動かずに日が暮れるまで過ごす、という方法です。
湿度が低いということもあって、影は涼しいのでマドリッドではエアコンを自宅に持っている人はほとんどいません。
でも遊び好きな彼らが一日中ジッとしている訳はなく、夜がやってきたら元気に外出して深夜、朝方まで宴会をしていますが・・。
イスラム教徒の友人たちは現在ラマダン中で日中の陽がある時間帯は食事を取らないという断食期間です。でもなんだか、どことなくスペインのこの時期もラマダンに似ているような・・・。
夢と言うのは凄いものだと、久しぶりに目覚めながら思いました。人によっては全く夢を覚えていないとか、モノクロとか、色々な話を聞きますが、私の場合はフルカラーな上に、匂い、味、音、触感付き。夢の途中で起きてしまって、もう一度続きを見ようと再寝すると続きが見れる事もあるし、あまりにも恐ろしすぎる夢なので「ここで中断!」と夢から自分を覚ますことも出来たりして、たまに爽やかな目覚めの筈が、まるで映画を三本立てで見たような感覚だったりすることもあります。
今朝の夢はそれで行くと、久しぶりに見るかなりリアルでヘビー夢でした。
舞台は私の母校、ミュンヘン国立音楽大学のホールで自分の卒業試験というシチュエーション。
試験は一般公開で300人ほどのお客さんが座っていて、その中には私のピアノの教授だったシェーファー教授も心配そうに座っています。
バッハ、ベートーベン、シューマン、ショパンのエチュード、メシアン・・と古典から現代まで一色弾く心づもりでピアノに座るのですが・・・
一番最初のバッハ。平均律第二巻の一番、ハ長調のプレリュードを弾きながら「ん?この後のフーガってどんな曲だっけ?」
そう思い始めたら6小節目で指が全く回らなくなり、そもそも、そのあとのベートーベンのソナタだってまだ終楽章まで譜読みしていないし、さらにシューマンの何の曲を弾くのか曲名すら分らないし、どうしよう!!! そう思って客席を見ると沢山の人が気の毒そうな顔をして席を立とうとしているのです。
ええい!こうなったらとりあえずいつでも弾けるモーツァルトのハ長調のソナタ第一テーマだけ弾いて、そのあとテーマを即興で変えながらサルサにしちゃえば時間稼ぎができるかもしれないと思い、モーツァルトを弾き始めるのです。
しかし客席は更に立ち去る人が後を絶たず、気が付いたら教授とボブ・マーリーのような風貌をした人が5人だけ残っていたという恐ろしい夢でした。
大学を卒業して果てしなく長く時が過ぎているのに、絶対的な臨場感を持ってバッハの一音一音が響き甦る強烈な夢なのです。
起きてからも、そのハ長調の旋律が頭からまるで離れてくれません。耳の中でグルグル回る旋律を何とか止めようと、思わずバッハの平均律集第二巻の楽譜を引っ張り出して来て久しぶりに弾いてみると・・・。
不思議なものです。現実で夢の音を重ねあわせて行くと、どんどん音が消滅して頭の中に静けさが戻ってくる気がしました。
いやぁ、毒は毒を以って制する同種療法とは良く言ったものだ・・・二日酔いに一番聞くのは一滴の酒とも言うし、などど感心しつつ、いやいやバッハは毒や二日酔いな訳がないではないかと発言撤回したり・・、結局今日も作曲が進まないまま日が暮れてしまったのでした(T_T)。
ここマドリッドは5月から一滴も雨が降らないまま、とうとう7月も後半となり、夏真っ盛りとなりました。巷では「バカンス」シーズンで、ここの山村もマドリッドより標高が高いので避暑にやってくる人でいっぱい。
近所の様子からも、朝から晩まで遊んで庭のプールに入ってバーベキューをしてこのまま9月まで毎日遊び続けるというのは、それはそれで相当大変なのではと思ってしまうのはニッポンジンな考え方なのでしょうか。
それにしても去年まで暮らしていたアンダルシアのコルドバの灼熱夏は壮絶でした。「アンダルシアのフライパン」と言われるコルドバの平均最高気温は45度以上、夜になれば熱くなった地面が放つ熱で気温はほとんど変わりません。我犬も昼間のアスファルトの上を歩くのを嫌がって(実際素足で歩くと本当に火傷を負うので)、街路樹のオレンジの影から影へ忍者のように歩いていました。水風呂に入ってオーバーヒートした体を冷やしながらピアノを弾いた毎日・・・忘れられません。
それに比べてマドリッドの山での夏はずっと快適なので、さぞかし作曲もはかどることであろうと期待していたのに、全然進まないではないですか。頭がボーっとして、動いていないと倒れてしまいそうなので、ピアノの周りを行ったり来たり、庭に行って畑をいじって、台所に行って野菜の皮剥いて・・・・家中をウロウロしている間に、今日も一日が過ぎて行ってしまいました。
一日が終わると、今日の結果として残るのは食べきれないほどの料理と不気味なほど綺麗に片付いた家の中、雑草が一本も生えていない我庭、そして真っ白な楽譜・・・。
心の中では「バカンスシーズンだし、まぁいいか」と夏のせいにしたいところなのですが・・・まぁいいか、ということにしておきましょう。
写真は、夜のあまりの暑さに噴水の中で体を冷やす人達・・。そもそも、地面から水がそのまま噴き出すと言う噴水デザイン自体が実用的です。
スペインに戻ってから何度か北スペインのガリシア地方に行ってきました。
雨が多く緑が豊富でケルト文化がルーツのガリシア音楽もフラメンコが響く南とは全く違っていて、来れば来るほど好きになる不思議な場所、ガリシア。
リアス式海岸が続く風景は、どことなく東北の風景にも似ていて、新鮮な魚介類が毎日格安で手に入ります。
私もガリシアに行く時は、絶対ミネ包丁持参。何しろガリシア旅の楽しみは料理です♡
今回の滞在中、最も美味しかった魚はエイでした。
エイの本場、ガリシアのレシピはとてもシンプルです。料理をする直前まで海で元気に泳いでいたエイをブツ切りにして、それをたっぷりの湯で茹でるだけ。茹であがったアツアツの茹エイに、ニンニクで風味をつけたオリーブオイルと荒塩、そしてパプリカパウダーをかけるだけです。
来年、またガリシアで大きなコンサートが決まりそうなので、ガリシアに行く機会が増えそうです。
突然日本に帰る用事が出来て、先週から帰国しています。
マドリッドからパリ経由で関空に着いた後、京都の家に寄って荷物を置いて、そのまま大阪に行って東京に行って仙台に行って東京に行って大阪に行って仕事と宴会を毎日フルに続けたら昨日あたりから燃料切れになって動けなくなりました。
なので今日は京都でジッとすることにしました。
窓から見える比叡山の様々な緑の色彩と鴨川の水の流れが綺麗です。
400年前に伊達政宗の命を受けてスペインにやってきた支倉常長をはじめとする慶長遣欧使節団が通った道を辿る旅を一年かけて旅をしよう決めました。
1613年。東北・石巻の月浦港を出発して太平洋を越えメキシコを横断し、キューバのハバナに寄り大西洋を航海して南スペインのアンダルシア地方に到着。その後、セビリア、コルドバ、マドリッド、サラゴサなどを通過してバルセロナまで陸路でイベリア半島を旅してローマまで行ったという、400年前の侍達の壮大な旅です。
以前、支倉常長の話を聞いた時から理由もなく不思議なほど惹かれる思いがあって、いつかその原因を探ってみようと思っていたのですが、支倉がスペインに到着して来年で400年というキリの良い年と言う事もあるので、この際自分の足と目で見てみようと思い至りました。
今回は、アラゴン地方にある支倉が通ったと推測される旧街道を辿ってきました。
そこに広がっていたのは、何処まで行っても砂漠のように広がる大地と、空と雲。
その堅そうな大地にはまるで永遠に続く深い地割のような谷があって、そこには蛇行するように川が流れていました。長い年月をかけて作られた谷に沿って街道とオアシスのような緑が広がり、その要所要所に村が点在していました。
400年前。刀を腰に着物で歩くお侍さん達が、一体どんな気持ちでこの道を歩いたのかと想像すれば想像するほど更に不思議な気持ちになって行く思いです。
2カ月ほど前の事です。
羊飼いが売りにやってきたチーズがあまりにも美味しそうだったので、思わず衝動買いをしてしまいました。
翌日はバルセロナでテレビ番組の収録と、1時間以上のラジオ番組2本の収録の予定があったので、遅くならないようにと、早めの夕食を準備していた時のことです。
小腹が空いたので先ほどのチーズを少し頂こうと齧った瞬間、自分の頭蓋骨の内側で、何かが崩れ落ちる石のような音が響き渡りました。
何て固いチーズだろうとはじめは思ったのですが、どうもそれ以外にも何かが口の中にあるような気がして、思わずその「何か」を手に取ってみると・・・・。
それは、我が前歯でした。
昔、ミュンヘンでも一度こんな事がありました。
それは全ての店が閉まった寒い大晦日の晩でした。下宿先の小さな部屋で一人ぼっちでしたが、友達から貰ったスルメを大事に大事に保存していて、今日こそは食べるに値する日だと、バイト代を奮発して当時は入手困難だった日本酒まで買い、そのスルメをガブッと齧った瞬間・・。
私の前歯はスルメに負けたのでした。
乾いたスルメの吸盤と共に崩れ落ちた我歯を見て、その時は一巻の終わりと血の気が足元まで引くほどのショックで、当然歯医者などはどこも開いているわけもなく、ショックで震えの止まらない手で119番に電話をしたのでした。
更に衝撃的だったのは、前歯が一本無いだけで、ドイツ語がドイツ語じゃなくなるという事でした。
「シュ」とか「チュ」とか「フ」「ヴ」とか、そんな発音ばっかりのドイツ語は前歯があってこそ話せたのだ・・・と、妙にへんな所で感心しながらも何とか救急センターのおじさんに内容を伝えると、
「少女よ。前歯が折れて死んだ人間はいないから、大丈夫であろう」
と、お正月が終わって歯医者が休暇から戻ってくるまで待つようにと言われたものでした。
この度チーズに負けた歯は、かつてスルメに負けた歯の時に入れてもらったドイツの歯なのでした。
血が引く事もなく、手足が震える事もなく、どう見てもこの時間では解決方法がないので、翌日一番に歯医者に行き、その足でマドリッドの飛行場に行こうと冷静に時間を計算している自分に、我ながら年をとったものだとへんに感心したりしたのでした。ただ、この状況は一応マネージャーのヘマちゃんにも伝えておこうと、彼女に電話をしてみると・・・。
ここで本当に驚いた事が起こりました。
前歯の無いドイツ語はドイツ語にならなかったのに、前歯の無いスペイン語はと言うと・・・・
5年近くも暮らして、とうとう発音するコツをつかめなかったアンダルシアのコルドバの方言が、前歯が一本ないだけで本格的に発音ができるではありませんか!
翌日、マネージャーのヘマちゃんのお陰で、私のコンサートにいつも来て下さるという女性の歯医者さんが朝一番に何とかしてあげるわ、と仮歯で応急処置をしてもらい、バルセロナでの収録も無事に何とか事なきを得たのでした。
恐るべしスルメとチーズです。
日本での3週間半の滞在があっという間に過ぎてしまいました。
色々な事がありすぎて、ゆっくりパソコンに向かって言葉を綴る事ができない毎日でした。
でも、最近慣れないなりにフェイスブックを更新するようになりました。もしご興味のある方はそちらもご覧になってください。
「Mine Kawakami」で出てきます。日本語とスペイン語で(ほぼ)毎日更新しています。
震災後一年の3月11日に石巻に行ってから一カ月が過ぎようとしている事が信じられないほど、長い時が過ぎた気がします。
全ての人にとって、あまりにも多くの思いや体験、今も続く影響など私にはとても言葉にして書くことが出来ませんが、今回石巻に行って二人の若い女性に音楽を通してある事を強く感じました。
石巻に行ったのは、震災後一年として放送されたNHKの特別番組の出演の為でした。
石巻で被災し、この春保育士になった愛ちゃんと、愛ちゃんの友達で同じく石巻に暮らす学生の奈々ちゃんという、二人の女の子が歌うコブクロの「ワインディング・ロード」をピアノでアレンジして伴奏するのが私が頂いた役目でした。
番組は生放送で、放送の3日前に仙台の音楽スタジオで練習が始まりました。
昔から歌が大好きだったという二人の歌唱力はとてもアマチュアとは思えないほどで、初めて合わせるピアノでも全く動じずに歌いこなして行きます。
ちなみに、NHKのスタッフの話によると、石巻は歌が上手い人が多い事で有名で、石巻のカラオケコンテストで優勝するのは、NHKのど自慢で優勝するより難しいと言われているのだそうです。
その石巻のコンテストで愛ちゃんは高校生の時優勝した経験があるそうです。
そんな愛ちゃんですが、会ってみると高校を卒業したばかりの可愛い女の子で、一緒にやってきた同級生達とも、同世代らしい会話(私には少々分らないテーマも多くて少々オバサンを感じつつ)をして楽しそうにしていました。
本番には、司会の高橋ジョージさんも到着し、3月11日13時15分、番組が始まりました。
番組は、福島や鹿児島、長野など音楽を通して様々な中継地が繋がって行きます。
私達の会場は石巻高校の音楽室。テレビカメラやスタッフが沢山入った音楽室の前方に愛ちゃんと奈々ちゃん、そして応援にきた新社会人の若者が並び、その横に私が座るグランドピアノがあります。グランドピアノの横からは、石巻の街とその向こうには津波が押し寄せた跡も、海も、全てが広がっていました。
5,4,3,2・・・・私達の歌の本番が始まりました。
はじめは二人のアカペラ、そして私の前奏が続きます。
このアカペラの最初の二人の歌声を聞いた時、ここ数年感じたことのない物凄い何かが体の中を走り抜けて行く感覚を覚えました。
それは、音楽という一つの糸を通して爆発的に広がるエネルギーであり、一瞬にして人それぞれの奥深くに潜んでいる心の扉までたどり着いて、それを思い切り叩くような力強さであり、「歌詞」という自分の言葉ではないすでに存在している言葉と旋律を通して、本来の自分が口頭で放とうとする言葉よりもずっと的確に思いを伝える事ができる凄さでした。
二人から沸き上がる天地がひっくり返るようなパワーに圧倒されて、曲はどんどん進んで行くのに、私の視界はまるでモネかターナーの絵画のようにジワジワと輪郭や線が消え、鍵盤と鍵盤の境目の線が消え、黒鍵と白鍵の白黒二種類しか見えなくなり、涙が膝上にぼたぼたと落ちて行くと言う、なった事のない惨状となって行ったのでした。
自然がもつ恐ろしい程の力に私達の存在はどうにもならないほど小さいとは分っていても、この二人の歌声を聞いた時、こんなちっぽけな私達人間の中には、何てはかり知れない力が潜んでいるのだろうと思わずにはいられませんでした。
愛ちゃん、奈々ちゃん。これからもずっと応援しています。
明日、放送されるNHKの特別番組「歌で心をひとつに」でピアノを弾く事になりました。石巻で今年社会人になる若者が歌うワインディングロードをピアノでアレンジー伴奏します。放送時間は昼0:15〜13:00生放送です!
友達の獣医さんから
「このシーズンは猛毒の毛虫に刺されてやってくる犬が後を絶たなくて忙しい」
と話には聞いていました。しかも行列を組んで歩くのだと、聞けば聞くほどホントかいな、と思っていました。
そして昨日。遂に毛虫軍団を発見。はじめはワ~、ホントだ~♡などと呑気に写真を撮っていたのですが、よーく見てみるとあっちにもこっちにも毛虫の行列が出来ていて、その数、おそらく数百、いやそれ以上・・。
役場や保健所からも「毎年の事ですが、数日で居なくなりますのでご安心を」と連絡があるのですが、足元に落ちている枝を蹴っ飛ばしただけで思わずギエ―――ッ毒毛虫を踏んだ~~~と心臓に悪い今日この頃です・・。
地図で見ると、真下は大西洋、左横はポルトガルの国境という、南スペイン最西端の街、ウエルバで夕べ演奏会をしてきました。
ウエルバ大学の19周年記念行事として呼んで頂いたのですが、港の公園の中にあるコンサートホールは学生、一般の人たちで満席になりました。
マドリッドから高速鉄道で4時間。何処まで見渡してもオリーブ畑とオレンジ農園しかないアンダルシアを縦断して大西洋に面した終着駅、そこがウエルバです。
ローマ時代から名を残す古い街にしては珍しく古い建物が少なく、一番古い建物でも250年ほどしかたっていない理由を聞いて驚いてしまいました。257年前、1755年11月1日に起こったリスボン大地震の津波によって街全体が壊滅したというのです。最大で20メートルの津波だったそうです。
人ごととは思えない歴史を持つこの街には何か不思議と心が和むエネルギーと優しさがあって、たった二泊しか滞在できませんでしたが、すっかりこの街が好きになってしまいました。
かつてコロンブスが暮らし、航海を始めるきっかけを生んだ街でもあります。
そして驚いたのが食材の豊かさ。市場に行くと、タコもイカもエビもそのまま生きていて、市場の中にあるバルでは何処よりも新鮮なタパスが何十種類と並んでいました。
美味しかったのは、モンゴウイカの卵のソテー、マグロのトロステーキ、白エビのワイン蒸、キンメダイの丸焼き、カラスミのアーモンド和え・・・。
来週日本に戻って番組の収録があるので、どうしても編曲と練習をしなくてはならず、惹かれる後ろ髪を無理やり束ねてマドリッドに戻ってきました。
ああ、次回ウエルバに行く時はミネ包丁を持参してキッチンのあるホテルに泊るぞ~!
写真はウエルバ名物、イチゴです。
演奏会前、ウエルバ大学の学長さんから楽屋に届いた差し入れだったのですが、あまりの大きさと甘さに感動してしまいました。翌日市場に行ってみたら、一箱2キロで200円でした。
テレビとラジオの収録があってバルセロナに行ってきました。
毎度行く度に、同じスペインでこうも違うものかとバルセロナの存在感に驚かされますが、今回もやっぱりそう思いました。
何処へ行ってもドイツ語、フランス語、イタリア語、英語など、ヨーロッパ中・世界中の言語が飛び交っていて、とにかく外国人の数が半端ではありません。最もスペインらしくないスペイン、なのにスペインらしさを求める外国人観光客が何処にも渦を巻くように居て、街・・とくに中心街ですが、常に祭りの中にあるようです。
今回のテレビとラジオの収録はペドロ・リバさんという作家でジャーナリストの持っている番組での出演でした。テレビは午前の収録だったのですが、ラジオ収録の方は夜11時半からと遅く、スタジオに行ってみたらいきなりピアノが置いてあるではありませんか。
「このスタジオの雰囲気をピアノで弾くとどんな感じになりますか?」と色々予想外の楽しい質問が沢山出てきてどんどん盛り上がり、気が付いたら本当は30分のインタビュー予定が1時間に延びて、その後の番組が伸び伸びになるという、この辺はスペイン的な展開となったのでした。
最近、ラジオというのは本当に面白いなと思う事がよくあります。
スペインに暮らしていても、インターネットのお陰でまるで日本に居るかのように毎日日本語でラジオ番組を聴いています。テレビよりも想像力が働き、言葉や音楽をゆっくり楽しめる気がします。
今回のラジオは下のページでお聞き頂くことができます。スペイン語ですが・・・。
http://www.ivoox.com/mine-kawakami-pianista-del-alma-audios-mp3_rf_1070440_1.html
写真はラジオのスタジオでペドロ・リバさんとです。
先日、友人の誕生日パーティーに行った時、キュウリの入った甘くないカクテルと言うのを飲む機会がありました。
そのキュウリの断面の美しい事・・。
まるで、蓮の花がキュウリの中に咲いているようで思わず見とれてしまいました。
キュウリも大したものです。
明日から2泊、テレビとラジオの収録でバルセロナに行ってきます。
早口言葉みたいな名前の街の劇場で演奏会がありました。
マドリッドも東京のように多極分散型都市で、これが同じ街なのかと思うほど、場所によって雰囲気も住む人も全然違います。
今回のコンサートがあった「サンセバスチャンデロスレイェス」はマドリッドの東側にあるベッドタウンと下町を合わせたような街で、安くて美味しく食べられる穴場のバルが一杯ある所です。
演奏会には沢山の人が来てくれて、下町ならではの気さくで人懐っこい雰囲気の楽しいひとときとなりました。
演奏終了後、CDのサイン会をしていたらキューバで出逢って以来17年ぶりの友達トリニーも来てくれました。
トリニーとキューバ話で久しぶりに盛り上がって笑いが止まりませんでした。
キューバで最も感動する美味しさの食べ物の一つがアボカドで、ハバナで演奏会をしたときに「こんな美味しいアボカドは食べたことがないです!」とトークで話したら、翌日ハバナのホテルのレセプションにアボカド話を聞いたお客さんが何人も何十個というアボカドを届けてくれた事を思い出します。
ああ、やっぱりまたキューバに行きたいです・・。
写真は舞台準備中のサンセバスチャンデロスレイェスの会場です。
ドイツで学生時代を送っていた6年間の間、マイナス25度以下という気温を何度も体験した事があるので寒さにはそんなに驚かないと思っていたのですが、マドリッド郊外の山村でマイナス15度という気温となった先日、こりゃ寒いと思いました。
日が落ちてからあまりにも寒いのでとりあえず近所のバルに一杯飲みに行こうと車のエンジンをかけると寒さのあまりウンともスンとも言わず、仕方なしに徒歩で凍った小川を渡りながらバルにいって戻ってくると今度は水道管が凍結して水無し状態。
灼熱のアンダルシア生まれの愛犬ワサは初めて体験する寒さのあまりグッタリして頭も持ち上げられないほど衰弱犬となって明日にでも死にそうな目をして私を見つめるのです。
獣医に行こうにも車は動かず、水道屋さんに電話しても「自然解凍するまで手の施しようがありません」と解決方法もなく、とりあえず車と犬と水道管が治りますようにと祈って寝るしかありませんでした。
芸は身を助けるとはこのことでしょうか。翌朝元気を取り戻した車で、近所で評判という獣医に駆け込むと・・・3人いる獣医さんの内、2人が私のピアノコンサートに来てくれていたお客さんでレントゲンも診察もタダ。獣医さん、本当にありがとう。ワサの病状は「寒さストレスによる胃炎」と言う事でした。
二件落着したものの、問題は水道管です。日中になっても零度を上回らず、水道管は凍結したまま。結局それから3日間、水無し生活は続いたのでした。
当たり前の物が無くなると、その有難味が分るとはよく言ったもので、日頃私はこんなに水をジャンジャン使っていたのかとバケツで水を井戸に汲みに行くたびに反省したのでした。
当たり前の物が無くなった時、あっという間に日常生活のバランスが崩れそうになって、それを何とか保とうと日頃使わない脳細胞が活性化して突然何かを思いついたり、長い事忘れていた事を思い出したりするものです。
夜、水を汲みながら空を見上げると、星座が分らないほど満天の星空が広がっていました。
そういえば、キューバで暮らしていた時も水は常に断水していて、雨水が頼りでした。授業中に雨が降ってくると学生たちとビニールシートを持って校庭に飛び出して雨水を集め、ついでに雨のシャワーを皆で浴びながら歌い踊りました。バケツ一杯のお水を炊事、洗髪やシャワーから歯磨き、全てに行きわたるように上手に配分して使い切る技もキューバ人から教えてもらい、慣れてくるととても楽しかった事を覚えています。そんな貴重な水で入れたコーヒーは、コーヒー豆と煎り大豆のブレンドでしたが、どんな高級店で飲むコーヒーよりも美味しいものでした。
最近、星を見ても美味しいコーヒーを飲んでも、特に心が揺れるような感動をしなくなっていた、という事も水が無くなったお陰で気付いたような気がします。
忙しいから、気に行った音楽や映画に出逢わないから、面白い人との出逢いがないから、旅に出る時間がないから、と感動できない理由を外に求めていたという事なのでしょうか。
寒波が去って水道管も解凍して水が出るようになった日、向かいの野原にこんな虹がかかっていました。
いつも不思議に思うのは、日本の異常気象とスペインの異常気象が重なることが多い事です。
今、日本も寒波到来で大雪、そしてほぼ同時にスペインにもロシアからの寒波が到来。スペイン中で大雪警報が出ています。我村も予想最低気温は-5度です。
アフリカの熱波がそのまま届いて気温が50度近く上がるアンダルシアのコルドバから標高1000メートルのマドリッド郊外にある山村に引っ越してきて約6か月。
いつでも山が見える場所に暮らせる幸せを毎日感じています。
長野県小布施出身の父が東京で学生生活を送った時に辛かったのは、どこを見ても山が見えなかった事、と言うのが遺伝しているのか、良くわかる気がします。
冬の山暮らしで一番素敵なのは暖炉です。多くの家には薪を燃やせる暖炉があって、石でできた家を一発で温めるには暖炉が一番効果があります。
この時期は常に薪の燻した香りが何処となく山村中に漂っていて、この香りをかぐと何故か幸せな気持ちになります。
暖炉に火を灯すと、何故か消したくなるものがあります。テレビです。パチパチと薪が燃える音、シューシューと薪木の中の水分が沸騰して蒸発して行く音、時々ゴロっと薪が崩れる音、そして様々な不思議な形や色で立ち上がる炎。いつまで見ていても飽きる事なく、暖炉の前で友人や家族とお酒を飲んだり食事をしたり一人で本を読んだり・・と薪が燃えている間はずっとその場所を離れたくないと思うほどです。
火を囲むと幸せになって人との輪が出来るのは、古代からの記憶が残っているからなのでしょうか。
もう一つ、暖炉好きな私の世代に大きな影響を与えた人がいると思います。ハイジです。
ハイジが山小屋でお爺さんの作るチーズを手伝うところ、出来上がったチーズを棒にさして火に炙って、程良くとろけた所をパンにのせて食べる所・・・。子供心に、あんな美味しい物はないだろうと思っていました。
ところが実際にやってみると、ハイジのチーズのようにはうまく行かないもので、あそこまでチーズがとろける状態に持っていこうと思うと自分の手まで焼けそうになると言う事が判明しました。
なので、チーズを暖炉で焼くためには相当長い棒か、網、もしくは鉄板が必要となります。
写真は大雪警報が出る直前の家から見える山です。
冬のマドリッドは雨や雪が多い筈なのに、今年の冬は毎日晴です。
こんなに天気は良いのに、スペインの景気はホントに悪いです。
先日、日本からスペインに戻る時にフランクフルトからマドリッドまで乗ってきたスパンエアー航空というスペインの航空会社が昨日突然倒産して、昨日から全ての便がキャンセルになりました。よって、社員全員も昨日の段階で失業し、飛行場のカウンターも全てクローズ。マドリッドの空港も大変な騒ぎになっているようです。
丁度今、日本から遊びに来ている友人も来週火曜日にスパンエアーを使って日本に帰るはずなのですが、飛行場に電話してもずっと話中で、らちがあかないと泣いていました。
そんな不景気の中、ニュースの内容も失業や倒産ばかりで暗くなりそうなものですが、何故か暗くならない所がスペインの凄い所だと思います。むしろ、東京の地下鉄や電車に乗った時に感じる鉛のような重暗さに先回帰国した時に驚いたほどでした。
こんなニュースがありました。
ガソリンスタンドに覆面をした強盗が押し入り、現金4万円ほどを奪って走り去ったそうです。その一部始終が防犯カメラに録画されていたのですが、この映像、見たら笑いが止まりません。
猛烈な勢いで店の前までやってくる犯人の後ろに犯人のペットと思われるちっちゃな黒い犬がくっついてきて、犯人が店の中で現金を出せと脅迫している間、ワンコは店の前でおりこうさんにご主人さまを尻尾を振って待ち、現金袋を抱えて店から飛び出し猛ダッシュで逃走するご主人さまに「わーい!」と言わんばかりに元気に喜んで全速で追いかけて闇に消えて行く一部始終がそれはキレイに録画されていたのです。
ガソリンスタンドの亭主も強盗に襲われながら外で待っている犬をみて「?あれは近所のホセの犬じゃないか」とすぐに犯人が分ったのだそうです。
犯行の10分後には村民全員に正体がばれてしまった犯人ホセは、3人の子供に食べさせるお金がなかったので犯行に及んだと懺悔し、奪った4万円をそのまま返しました。皆さんも強盗をする時には愛犬がついてこないように、ちゃんと家に繋いでおきましょう。というニュースです。
このニュースをバルで見ていた人達は口々に大笑い。失業して犯行に及んだマヌケなホセに「自分だって失業してるから気持ちはわかるなぁ」などと同情し、とどめに「犬にもちゃんと覆面をかぶせるべきだ」などと盛り上がり、失業者で溢れ返るバルはいつも元気に笑えるテーマで賑やかなのでした。
一カ月の日本滞在が終わり一昨日マドリッドに戻りました。
飛行機に乗るといつも不思議に思うのは、目まぐるしく過ぎて行く日常の喧騒や日々の思いが突然客観的に見えるような気がすることです。
慌ただしくバタバタとしている私をもう一人の私が雲の上から見ているような・・そして、なんて小さな事で私は一喜一憂して蟻んこ
のように行ったり来たりしているんだろう・・なんて、漠然と感じるのです。
飛行機の窓からみえるロシアの大地は本当に素敵です。
特にこの季節は、窓から見える全ての大地が雪に覆われて真っ白。そのなかをまるで子供がお絵かきでもしたかのようなグニャグニャに曲がった大河が何本も横たわっています。
こんな所に一体誰が暮らしているのだろうと思うのですが、良く目を凝らして見てみるとポツポツと家や村の灯があったり、真直ぐに伸びた道路が見えたりします。
そんな村や凍った大河に心の目をズームして見ながら、その場所で、どんな風がふいてどんな水の音が聞こえているのだろうと想像するのはとても好きです。
もう一つ大好きなのは、上空一万メートルを飛ぶ飛行機の窓に出来る氷の結晶の花です。何故か上空で出来る結晶は北国の地上の家の窓に出来るできる形と違う気がしたりします。
などと、ああでもなく、こうでもなく・・と、一人でブツブツと想像遊びをしながら12時間のフライトが過ぎて行くのでした。
写真は窓に咲い氷の花です。