今日のひとこと
ついに出来上がりました、楽譜「道」!!
なんと長い道のりだった事でしょう。
作曲するよりも、自分で書いた手書きの原譜を清書する作業の方がこんなに時間がかかるものだとは夢にも思いませんでした。
手書きの楽譜はまるで絵を描くかのように自由自在に音符と遊べるし、音符ひとつひとつに音色を想像しながら書き込めるのに、パソコンソフトで楽譜を書くと、電子音と共に次から次へと降ってくるような音符オタマジャクシの音と嵐に目がクラクラするのです。
しかも、録音時には調子に乗って直感と思いつきで色んな音を追加して勝手に即興を入れて弾いているので、出来上がった録音と原譜が全然違う物になってるしで、今度は自分で弾いた録音を聴音して楽譜に付け加える始末で、これがまたなかなか大変な作業でして・・・。
楽譜を清書する事を専門にお仕事されている方は本当に凄い方なのだと思います。
夢は全曲楽譜化!・・・なのですが、想像するだけで目がショボショボしそうです・・・。
「道」ピアノ・ソロ
800円 (税込み) 送料別 (1部140円)
先着200部をサイン入りで販売いたします。
ご購入ご希望の方は、住所、氏名、電話番号、ご希望部数をご記入の上、order@t-s-f.co.jpまでご連絡下さい。
新年、あけましておめでとうございます。
久しぶりに故郷でお正月を迎えました。
一年が終わるときも、いつもと同じように時間が流れている筈なのに、自分の中に流れている時間と自分の外に流れている時間の差がどんどん広がって行くのではないかと思うほど、まるで自分を取り残して時だけが滑り抜けて行くように過ぎて行くものだと、いつもの事ながら思った年の暮れでした。
私の故郷、愛知県のちょっと田舎(?)にある長久手でのお正月も素敵です。子供の時から今も変わらず、除夜の鐘に耳を澄ましながら石作(いしづくり)神社に多くの人が集まり、年が明けるとお菓子がいっぱい入った袋や、升とお酒を今年「前厄」を迎える青年達から分けてもらいます。
今年は私の弟がその「前厄青年」の一人なので、小学校のときから一緒に育った同級生達と共に徹夜でお酒やお菓子を配っていました。
その袋の中には、チョコレートやクッキー、飴玉など小さな箱に入った懐かしいお菓子が一杯詰まっていました。
小学生の頃、遠足で300円以内で買ったお菓子をリュックに詰めて持ってきて良いという決まりがあって、弟や友達と駄菓子屋さんで1時間以上も悩んで買った思い出や、幼かった頃の記憶がなぜか涙と一緒に溢れてきました。
「コアラのマーチ」も「ベビースターラーメン」も、懐かしすぎて、勿体なすぎて、まるでその袋の中に子供の頃の思い出が詰まっているような気がして、袋を開けられないままです。
写真は、年が明けたばかりの石作神社です。
2011年ももうすぐ終わりです。
私もこの年末年始は日本です。久しぶりに実家のある長久手で両親や弟家族とゆっくりしようと思っています。そして、おせち料理を一杯作らなくては!!
みなさん。今年もお世話になり、本当にありがとうございました。
沢山の出逢い、そしてお力添えに心から感謝しています。
どうか新たな一年が皆さんにとって笑顔多き素晴らしい一年となりますよう心から祈っています。
どうぞ良いお年をお迎えください。
夕べ、生まれて初めてサッカーの試合をスタジアムで見ました。
レアル・マドリッドとFCバルセロナ、愛称「バルサ」の運命の戦い「クラシコ」。
正直に白状すると私にはサッカーはよくわからないのですが、縁あってレアル・マドリッドのホームグラウンド、サンティアゴ・ベルナベウサッカースタジアムへと行く幸運に恵まれたのでした。
サッカーが良くわからない割には、FCバルセロナの選手イニエスタが大好きです。
何故かというと、彼の生まれ故郷フエンテ・アルビージャ村にイニエスタが村おこしになればと村劇場に寄付したグランドピアノのお披露目コンサートに演奏家として呼んでもらったことがあるからです。
サッカーボールでもなく、サッカーグラウンドでもなく、グランドピアノを故郷に寄付するとは、なんて洒落ていて素敵なんだと、それが理由で無条件でイニエスタが大好き=所属しているバルサも何だか好き=なので何となくバルサを応援・・・という気持ちでスタジアムの入り口をくぐりました。
そもそも、なかなか入場券が手に入らないというこの試合を見に行くことが出来たのは、現在レアルマドリッドのコーチをしているかつてのスペインサッカーの英雄ブトラゲーニョさんの協力を得たお陰でした。
これまた縁あってブトラゲーニョさんにお世話になり、「良く見えるとても良い席ですよ」と太鼓判を押してもらって期待はしていたものの、実際番号通りに席へ行ってみると、それもそのはず。スタジアム一番下の一列目の席ではありませんか。
目の前にイニエスタが、メッシが、ロナウドが、彼らの息使いまで聞こえてきそうな場所で、まさに8万人の人間で出来た巨大なすり鉢の底で試合は始ったのでした。
最も衝撃的だったのは、スタジアムそのものが作り上げる途轍もない音と色の世界でした。
スタジアムの光は白昼の如く白く明るく、でも太陽の光とは違った独特の色合いがあって、選手も芝生も、人海としか言いようのない8万人という人それぞれの洋服、顔、動きを影もなく照らし浮かび上がらせ、そこには見た事のない鮮やかな色彩の世界がありました。
もうひとつ驚いたのは音です。どこかで爆発的な歓声が上がると、その歓声が一気に移動してスタジアムの中を縦横無尽に駆け巡るのです。まるで声が龍のような生き物となって私の頭上を猛烈な勢いでうねりながら飛んでいくような、そんな勢いです。
その声は常にその瞬間ごとに起きる出来事に対して変化していて、「ゴール!!」「惜しい」「頑張れ」「抗議」・・・サポーターの共通した感情が言葉という音ではなく、人間が出すもっと別な原始的な雄叫びのような何かに近いような「音」によって作られているのだと感じました。
そして、もう一つ。目の前を駆け抜けて行く選手たち一人一人が放つパワーです。
訓練され尽くした体は本当に綺麗で、まるで真夜中の野生の動物のようなしなやかさがあって、ボールの方が意志を持って選手にひっついて来ているのではないかと錯覚をするほどの不思議な重力が選手の体に働いているように見えるのです。
それにしても、レアルマドリッドの関係者に用意してもらった席に座りながらバルサにゴールが入った時に思わず拍手なんぞした日にゃ、その場で八つ裂きにされた上、市中引き回しの刑に遭うであろうという事だけはサッカーが何にもわかんない私にもよーーーく分ったのでした。
素敵なメールが奄美大島の漁師さんから届きました。
メールを送ってくださったのは鰹の一本釣りで4代目になる漁師さん。
漁に出ると、海と空しか見えない大海原の中で、甲板ではねるカツオとキハダマグロの音を聴いているそうです。
そんな漁に、私のCD「オ・メウ・カミーニョ」もお供させて頂いているというのです。嬉しさに思わず目を閉じてどんな世界なんだろうと想像してみました。
まだ見た事のない奄美の海、風の香り、雲の姿、そして鰹があがるときのエネルギー・・・不思議なほど心がワクワクします。
写真は大熊漁港のオ・メウ・カミーニョです。
漁師さん、素敵な写真を送って下さってありがとうございました。
ああ、コンパクトに旅が出来る自分のCDが羨ましい・・・。
最近ソロリサイタルばかりが続いていたからか、先日の複数アーティストによるガラ・コンサートはとても新鮮で素敵なコンサートとなりました。
ビルバオはマドリッドから北東に向かって約450キロの所にあるフランスの国境に近いバスク地方の都市です。
バスク地方と言うのは、スペインの中でも独特の風土と伝統があって、スペイン語とは響きも文法も全く違うバスク語という言語が話されている地域でもあります。
失業率もスペインの中では最も低く、人々はシエスタもしない働き者。食べる事が大好きで、週末の楽しみの一つは男性同士が集まって料理の腕を競い合いながら飲み明かす、なんていう伝統もある所です。
今回の出演アーティストは全員が女性でした。
ギターの弾き語り、ロックバンド、ピアノ弾き語りなど、様々な種類の音楽家がスペイン全土から集まりました。
ソロコンサートの時には味わえない賑やかさがあって、楽屋はほとんど宴会状態。このイベントに強力なスポンサーが付いた事もあってか、楽屋の中に軽食を取れる部屋が設けられていて、中をのぞいてビックリ。パエリア、ステーキ、生ハム、ツナ、エビ、ベジタリアンのサンドイッチ、コーヒー、ハーブティーにビール、高級ワイン、キューバ産ラム酒、ウィスキーまであるのです。
どの音楽家も皆一度はどこかで共演している仲間がほとんどなので、まるで同窓会のような盛り上がりようでした(ちなみに私は本番前は指先が狂うので、一滴もお酒を飲めません。でも本番後のビールは最高に美味しいです♡)。
素敵だったのは、本番が始まってからです。
演奏がはじまると、全員が舞台の横に上がってきてジッと演奏を聞き、演奏が終わるたびに惜しみない拍手をおくるのです。そして、本番が終わって舞台を降りると皆が演奏を聞いた感想を率直にポジティブに伝えてくれます。
私が今まで体験してきたガラ・コンサートは本番前になると多くがピリピリして楽屋に閉じこもって音だしをしたり発声練習をしたりして、他の出演者が何を演奏しているかなどはあまり気にしない・・むしろ共演者をライバルのようにとらえるような緊張感が漂う事もあるというのが普通でした。
お客さんには見えない舞台裏の小さな出来事ですが、この事がコンサート全体を大きく一つにまとめ、また一人一人が最高の力と個性を持って発揮できるパワーの源になるのだと思いました。
写真は人気歌手のカルメン・パリス。旅多き波乱万丈の人生話に魅せられて、楽屋ですっかり仲良しになってしまいました。
明日は、スペインでもフランス国境に近いバスク地方のビルバオという街でのコンサートです。
数ヶ月前、「スペインの中でも特に強烈な個性を持つ女性アーチストが集結するコンサートの出演依頼があったわよ」とマネージャーから連絡をもらって、その集結アーチストのリストを見てみたら、私でも知っている女流人気ロックグループがズラズラっと並んでいてビックリ。
プログラムはロック→ロック→ロック→ロック→ミネピアノ→ロック→ロックと言ったところで、一体私は何を弾いたら良いものかと随分悩みました。
大体、一体なぜこんな強烈なコンサートに私が呼ばれるのかがそもそも不思議だったのですが、明日は人権をテーマに話し合うというバスク地方全体での特別デーだそうで、どうも私はニッポン代表で呼ばれたものとみられます。
それにしても、本番前日の今日まで何を弾くか最終的に決まらないのでした・・・。3曲しか演奏する時間がないので、とりあえず6曲を候補として持って本番のリハーサルの音響の状況と前後のお姉さま達の状況を見ながら決めたいと思います。
もしビルバオに住んでいる方がいたら、是非遊びに来てみてください。案内はこちらのサイトにあるポスターをご覧ください。
http://www.salabbk.es/archives/1964
バスク地方の楽しみは何と言ってもゴハンです~!!
夕べ、坂本龍一さんのコンサートに行ってきました。
先週15日のマドリッド公演に行きたかったのですが、丁度同じ日に私も演奏会があったので行けなかったため、サカモトスペイン公演最終日の昨日、バヤドリッドという街での演奏会に行くことが出来ました。
演奏会は非常に心に響くものでした。
今回はピアノ、バイオリン、チェロの三重奏でスクリーンなどの大がかりなセットはなく、クラシック音楽に近いスタイルのコンサートでした。
プログラムも解説も無く、坂本音楽を聴きこんでいない人には、何の曲を弾いているのかはわからないだろうという流れで、次から次へと曲が続いて行きました。
曲が一曲終わってもそこで坂本氏は立ち上がる事も無く、拍手が起こると何となく横目で笑顔も見せずに軽く会釈をして次の曲を弾き始める・・一つ一つの動作が大きいスペイン人にとってはそんな姿もどこか新鮮だったのでしょうか。
1時間半以上、途切れることなく演奏が続く中で、ほとんどがピアニシモか最高でもメゾピアノほどの小さい音量。驚くような演奏技巧を見せるソロもパッセージもなく、ビックリするような照明が展開されることもなく、バイオリニストもチェリストも同様に自己を誇張するような音を全く出さずに、むしろ時々どちらがバイオリンを弾いてチェロを弾いているのかも分からないほど音が重なったり別れたりして、ひたすら音楽が流れ過ぎて行く・・・そんな空間に身を置くうちに、ああ、どこか日本の禅の庭を見ている時と似ているのではないか、とそんな気がしてくるのでした。
始まった以上、決して立ち上がることも出て行くこともできないコンサートホールという巨大な密閉された空間の中で、計算され準備され尽くされた舞台環境と音楽が粛々と流れ行く。
お客さんは、「さあ、どんな音楽を聞かせて楽しませてくれるのか見てみようじゃないか」と受け身になるのではなく、むしろその空間に向かって耳を澄まし、目を開き、心を澄まし、空になって自分から響きや動きを探しに行く・・そんな途轍もない音楽の空間がありました。
坂本龍一の音楽は、音と音、音と人、音と時間の調和であり、その大きな世界の中の一部に自分があるという、言葉ではうまく説明できない納得感と心地よさと喜びがあるような、音楽を越えた何かを感じずにはいられないそんな夜でした。
昨年リリースしたアルバム「オ・メウ・カミーニョ」の中に「アヴェ・マリス・ステラ」という曲があります。直訳すると「バンザイ、星の海」。キリスト教的に訳すと「聖母マリア」という意味です。
スペインの田舎にある教会の中で見た聖母マリア像に惹かれて、時間を忘れて1時間以上もそのマリア像の前に座っていたことがあります。
自分はキリスト教徒ではないのでキリスト教世界の事については本で読んだ程度で詳しくは分かりません。
でも、この時見たマリア像が持つ静けさ、温かさ、内に秘めた激しさ、美しさはそんな私の心の中にも不思議なほどの平穏と自分の心臓の鼓動がゆっくりと聞こえるような、そんなひとときを与えてくれました。
この時感じたマリア像をそのまま音楽に転写してみようと思って作曲した曲です。
きっとどのピアニストも毎日の練習でピアノを弾き始める時に何となく一番最初に引く曲というのがあると思うのですが、私の場合はこのアヴェ・マリス・ステラを弾くことが多いです。
これを弾くと、その日のピアノの機嫌が分かり(ピアノも人間みたいに毎日気分がかわるようで、音も毎日違って響きます)、私の心も心拍数も落ち着くような気がするのです。
そういえば友達で、朝っぱらからハノンの音階練習を全調で弾き倒してウォーミングアップするという人もいるし、まずリストの超絶技巧練習曲を片っ端から弾いて心を落ち着かせる人もいるし・・様々です。
昨日、パソコンを整理していたら曲の基になったマリア様の写真がいきなり出てきたので、こんなお話になってしまいました。
先週はマドリッドの郊外の街、コルメナレッホでの演奏会でした。
マドリッドとは言っても、首都とはまた違った田舎のノンビリした雰囲気のある素敵な小さな村での演奏会。
コンサートが土曜日と言う事もあって家族連れのお客さんが多いですよ、と劇場支配人から連絡がありました。
本番1時間前にリハーサルをしに舞台に行くと、いきなり沢山の子供が入ってきました。その子供たちと一緒に入ってきた女性に話を聞くと、村の音楽学校の生徒たちで、10分でいいから子供達の為に何か弾いてくれないか、と言うのです。
年齢をたずねてみると、5歳から15歳までの子供達で皆目をキラキラ輝かせて「弾いてください!」と言うのです。
子供たちに頼まれてしまうとどうしても断ることのできない性質なので、とりあえず最近久しく弾いていない愛・地球博の時に作曲したモリゾーとキッコロのアニメの曲を弾くことにしました。
これが鶯、これがモリゾー登場の曲、これがキッコロの曲・・・とやっているうちに私の方がどんどん止まらなくなってしまって、気が付いたら本番15分前。あわてて楽屋に戻ってドレスに着替えて舞台の裾に駆け上がって進行スタッフの指示を待つこと本番3分前・・・。
そこへマネージャーが駆け込んできて、
「ミネ、劇場は満席なんだけど、子供が半分近く占めているので、プログラム変更してお子様用コンサートにして」
3分前で、お子様コンサートにしてって・・・・。
結局プログラムは大変更で、イチかバチかでお子様曲を沢山弾いてみたら、案外弾けてしまったのでした。子供たちと一緒にやったリハーサルのお陰です。凄いのは、照明スタッフも臨機応変度は抜群で、ほとんど私が何を弾くかをわかっているようで何事も無かったようについてきてくれるのです。
演奏会が終わったらさっきの子供たちが走って抱き着いてきてずっと離れず、本当に可愛かったです。
それにしても、心臓に生えた毛が剛毛になりそうな国です。
昨日はバヤドリッドでのコンサートでした。
かつてのカスティリア王国の首都だった古い街です。マドリッドから200キロ、車で2時間ほどですが、バヤドリッドに到着するまでの高速道路から広がる景色はひたすら乾燥した農地で、つねに地平線が360度見渡せるような広大な風景が続きます。その中に目を凝らすと時々モコモコっとした塊を見つけることが出来るのですが、これが羊飼いと羊の群れ。大抵の場合、一人の男の羊飼い、2,3匹の牧羊犬、そして200頭ほどの羊・・そんな構成です。
運転はいつもマネージャーのヘマちゃんで、彼女の愛車「トヨタ君」に荷物と私を載せて一号車が出発すると、2号車は音響機器・照明・スクリーンを載せた機材トラックのペペと音響隊員が続き、更にスタインウェイのフルコンサートグランドを積んだパトリックが運転するクレーン付トラックが3号車で続きます。
なんだか、そんな群れをなしてカスティージャ地方を巡業する私達もどことなく羊飼いみたいだったりして・・・。
バヤドリッドのコンサートホールはとても素敵でした。出来たばかりのドーム上の会場で、まるで泡玉のような形状の屋根の下でピアノを弾いていると自分が虫か魚になって巣の中に帰ってきたような気持ちになるような、そんな会場でした。
夜9時に開演、10時半に終演、その後後片付けして車に乗ってマドリッドに戻ったのが午前4時だったのですが、帰りの車から見えたのはひたすら星・星・星。
最近見えるようになった冬の星座オリオンまで、まるで地平線をベッドに寝転がっているようでした。
一昨日はサラマンカでのコンサートでした。
マドリッドからポルトガル方面に向かって車で2時間ほどの場所にある古都サラマンカ。ローマ時代から栄えた街で、旧市街が丸ごと世界遺産に登録されているそれは美しい街です。
歴史もさることながら、サラマンカで素晴らしいのは生ハム、チョリソ、サルチチョンなどのハム、サラミ類の味です。
サラマンカ地方はイベリコ豚の原産地。立派なイベリコ豚になるには条件があるそうです。
まず乾燥した気候を生む青い空。
沢山の実がなり、大地に豊かな影を作るドングリの大木。ドングリの実をたっぷり食べたイベリコ豚の肉はナッツのような香ばしい香りのする上質なものとなり、また豚君達がドングリを食べたあと、シエスタが出来るように、どんな暑い日もストレスなく憩える涼しい木陰も作る役割も果たします。
そして、塩漬けした肉を自然の空気に干して熟成させるので、寒暖の差があり大気汚染されていない空気・・・。
この全てが満たされたサラマンカ地方で育ったイベリコ豚君たちの美味しさと言ったらもう、言葉には表わせないほどです。
コンサート前に調子にのって生ハムとサラミを山のように食べたら、本番前、自分が干からびるかと思うほど喉が渇きました・・。
でも、コンサート後の打ち上げにもやっぱり懲りずにハムを食べに行ってしまったのでした。
写真はサラマンカのマヨール広場です。この日も夜遅くまで賑い、酒を飲み、笑い・・・サラマンカ人たちも元気いっぱいです。
人生でこれほど大量のアリを見たのは、コスタリカの原生林に行った時以来のような気がします。
8月に引っ越してきたこのマドリッドの山小屋には、愛犬ワサもダッシュで走り回れるほどの庭(というか、単なる野原)があるのですが、その庭にあった古いプールの撤去作業がようやく今日完了しました。
プールを支えていたセメントを壊すとそこはアリさんパラダイス。
ファーブル先生だったら泣いて喜んでくれそうなほど、何万という大群が突然の非常事態に大パニックになっていて、もう動物パニック映画みたいにウジャウジャウジャ~っと山のように巣から湧いて出てくるのです。
良く観察してみると、様々なアリの巣部屋があって、中には食糧庫、卵の部屋など昔小学校の理科の授業で習った通りの状態(×300倍)。
とにかくこちらの目が回るほどの勢いでアリたちも崩れ行くマイホームの周りで大騒ぎとなって行きました。
もしアリ語が聞こえたなら、きっとそこには非常事態警報が大音量で鳴り響き、「逃げろー」「キャー」とか言っていたに違いありません。
凄いのが、それから1時間程して様子を見に行くと、先ほどのパニックアリたちが、今度は一丸となって全員口に食糧を加えながら様々な方向に消えて行くのです。あんなに沢山あった卵も、いつの間にかほとんど姿を消していて、夕方には一匹もいなくなってしまいました。
一体彼らは何処にいったのでしょう・・・。
先週の土曜日はバルセロナのアウディトリ劇場でのピアノリサイタルでした。
バルセロナの中でも最も大きな州立劇場で、音響も舞台装置も申し分のない素晴らしいホールでした。どんなピアニシモの音も、どんなフォルティシモの音もホールの隅々まで完璧に響き渡る音響で、一つの鍵盤を打鍵するだけでまるで一つの音楽の宇宙が広がるような・・・やっぱり音響って大事なんだな~と思いました。
有難いことに500席の会場は一杯になり、その中には昔キューバでお世話になった椿さんという素晴らしい外交官の方の姿もありました。昨年からスペインに赴任されて、今はバルセロナ総領事です。今年は震災が起こった事により、3月からほとんど休みが無い毎日なのだそうです。
バルセロナ。数か月ぶりに行ったのですが、いつもながらどうしてこんなに沢山人がいるのだろうと思うほど中心街は外国人観光客で渦巻いていて、最近マドリッドの山村生活で田舎者になった私には衝撃的な数日間でした。
バルセロナにはもう一人、とても仲良しの友達がいます。名前はラリ・ダリと言って、素敵な可愛いお婆ちゃんですが、彼女は画家、サルバドール・ダリの唯一の肉親にあたる姪です。
愛知万博の時に開催されたダリ・ピカソ・ガウディ展の為に来日し、この展覧会で私もピアノ演奏をしたことがきっかけで知り合ってすっかり仲良しになり、それ以来、私もバルセロナに行くと必ずラリの家に遊びに行くのですが、この家。何度行っても凄いのです。
ラリお婆ちゃんは、バルセロナ市内に一軒、郊外に一軒、そしてダリの生家、カダケシュという海の街に一軒、合計3軒もの家を行ったり来たりして暮らしているのですが、どの家もダリの絵だらけ。それも、ラリが幼かった時に一緒に遊びながら描いてもらったダリのイラストや詩、落書きから絵葉書まで、普段のサルバドール・ダリの絵画では見ることのできない、可愛らしくて温かくて優しい絵ばかりが至る所にあるのです。そしてそのダリの絵の合間には、ピカソの落書き、藤田 嗣治と一緒に書いた猫の絵、ムリーリョの絵画・・・「近所の八百屋さんに行く時でさえ、いくつも鍵かけて出かけなくちゃいけないから大変で嫌になっちゃうのよね」と言っていました。
久しぶりのバルセロナ、とても心温まる数日間でした。
写真は、ラリお婆ちゃんです。
残念な事に、スペインから日本までの直行便フライトがないので、帰国する時はいつもはドイツを経由して行き来しています。
でも、今回は初めて、イスタンブール経由のトルコ航空で往復することになりました。
このイスタンブール経由、なかなか快適でした。
ヨーロッパ系の航空会社よりも座席の幅が随分広いのと、機内食の量が山盛りだったのも良かったです。
マドリッドからイスタンブールに向かう途中、まるで地図を足元に広げているかのように、
バレンシア
↓
地中海のマジョルカ島・メノルカ島
↓
イタリアのサルジニア島
↓
イタリア本島ののナポリ
↓
ギリシアのテサロニキ
↓
イスタンブール
と、雲ひとつない上空から4時間にわたって広がる地上の美しさに酔いしれる思いでした。おかしな姿勢で窓にへばり付きながら過ごしたので、後で更にギックリ首が悪化しましたけど。
そうです。実は、周りの友達から「地図女」と言われるほど、地図が大好きです。飛行機に乗って、街や山脈などを地図ナシで探すのって止められません。
ところで、世界中のどの飛行場に行っても面白い!と思う事があります。それは、間もなく搭乗が開始される出発ゲート。
ゲートの中に居る人々ほど、飛行機の行き先の国と街を反映するものはないと思います。
例えば、成田空港行きのゲート。話声も小さく、手荷物もサッパリしていて、全体的に服装も雰囲気もリラックスした感じがあり、手荷物も限りなく少なく、さすが東京だな、と思います。
名古屋・中部国際空港行きのゲート。話声は成田空港行きよりも小さく、遠慮がちに座る人が多くて、綺麗な服装でしっかりお化粧をして乗る女性が多いなと思うことがよくあります。
マドリッド行きのゲート。宴会を始るぞ的な高揚感があって、鶏小屋をつっついたような騒がしさで、この段階で耳栓を探します。
ハバナ行きのゲート。故郷に帰る喜びでいっぱいのエネルギーに満ちていて、ゲート内にいる知らない人にも話しかけたりナンパしたりして、新たな友達の輪が広がる場所です。カリブ海に向かうバカンス客も多くて、日頃本国で君はそんな格好して歩かないだろう、というアロハシャツに水着みたいな格好をしてそのまま海に浸かれるぞ状態で乗るヨーロッパ人もいっぱいです。
そして今回、私が向かった関西空港行きのゲート。
日本での居住地が京都の私には一番最寄りの飛行場と言う事もあって、最もよく利用する日本の国際空港ですが、何度乗っても面白すぎるのです。
まず、声のボリュームは成田行きと名古屋行きを足して3倍にしたくらいの騒がしさ。時期が時期だけに、団体観光客のおばちゃん達が山盛り居て、この会話を聞くだけでも本もアイポットも必要ないほどの面白さです。
イスタンブール空港は少し変わっていて、ゲートごとに手荷物検査場があり、空港の免税品店で買い物をした後に荷物検査がある、という構造です。
ゲート入り口に行ってみると搭乗時間は迫っていると言うのに、この手荷物検査が長蛇の列となっていて、まるで進まないのです。
何事かと列の先を覗いてみると・・・10人ほどのおばちゃん団体が手荷物に入れていた「トルコ名物ヨーグルト」を持ち込み禁止になっている「液体物」として検査官に止められているのです。
これが名古屋行きなら、皆その場で悲しそうな頬笑みをうかべながら、そっと検査官に渡して、何事もなかったかのように諦める筈なのですが、大阪のオバチャンはこんな事では諦めません。
「ほな、ここでいただきますわ」
と言って、エックス線検査機の前でオバチャン全員が業務用サイズのヨーグルトの蓋をバリバリっと開けて、仁王立ちになってグビグビと飲み始めるではありませんか。
関西空港行きゲート。最高です。
清水寺の演奏会が無事に終わりました。
演奏会後の一週間は台風も日本を直撃し、私の毎日も嵐のような怒涛の毎分毎秒が過ぎ、京都と大阪と東京と名古屋を毎日のように行ったり来たりして、ワワワ~っとしているうちに、我に返ったらスペイン行きの飛行機に座っていた・・・そんな一週間でした。
清水寺舞台のコンサート。7年目の今年は「雨」が大きな存在となりました。
私にとってこの演奏会は、一年に一度、初心に帰るような、基本に戻るような、心が引き締まるような、そんな特別な演奏会です。
音響設備も、特別な舞台照明もない清水寺舞台と言う野外での演奏は、その瞬間になってみないとどんな環境になっているか分らないので、その時の環境と自分がどうやってハーモニーを作っていけるかという瞬間との共同制作でもあります。
一度演奏を始めれば、後は雨になろうが星空になろうが、清水寺舞台とその自然に任せて演奏するのみですが、今回学んだのは、その本番の天気を見極めて客席とピアノの配置をどうするかを決めることの難しさでした。
結局、本番は雨は降ることなく星達が雲の切れ目から広がり始めるという素晴らしい天気となりました。
また、今年は初めて詩の朗読とピアノで二重奏に挑戦しました。言葉とピアノのハーモニーの難しさと面白さに、これから私がやっていきたいな、と思う新しいテーマが生まれたような気もしました。
朗読をしてくださったのは、ラジオビタミンの司会をされているNHKアナウンサーの村上信夫さん。一度、村上さんの番組に読んで頂いて以来、とても仲良しになって、今でも時々お会いすると料理の話で盛り上がって話が止まらなくなる・・と言う、実はプロ並みにお料理が上手な方なのですが、村上さんの話す一言一言の発音の果てしない美しさ、言葉が持つ力(これを村上さんは「言霊」と言います)に圧倒される思いでもありました。
日本語って、何て美しい言語なのだろうと、あらためて思いました。
お陰さまで、演奏会は今年も満席となり、演奏会後には沢山の方とお会いできたり、再会できたり、お声をかけていただいたりして、本当に幸せな時をいただきました。
関東や北海道、東北、九州など遠くから来てくださった方、本当にありがとうございました。
また、女優の田中美里さんや、アニメ監督の高橋良輔さん、猫のしっぽのベニシアさんもかけつけて下さり、本当に温かくて嬉しい再会ともなりました。
夕べマドリッドに到着したばかりですが、体だけはスペインに到着したものの、魂は追いつかずにロシアの上空をスペイン目指して飛んでるような感じです・・・。
でも、数日中にはまた元気が戻ってくると思います。
夕べの京都は久しぶりの大雨でした。
そして今日は・・・。天気図を見ると、南の方に仲良く二つの台風が並んでいるではありませんか。でも、天気予報によれば夜は雨が降らないようです。・・・さて、どんな夜になるのか・・・どうなっても楽しみです。
でも、今晩の清水寺は、なぜかとても不思議な素敵な予感がします。
明日は清水寺のコンサートです。
なぜか今年は雨が降る予感がしていましたが、本当に雨になりそうです。
今までの6回の清水寺コンサートの中で、一度だけ途中で雨が降ってきた事がありました。
そのとき、こんなに美しい雨の清水寺という風景があるのだろうか、と本当に驚いた事があります。
お申し込みいただいた皆様。雨が降った場合でも、大丈夫です。
皆様が雨にぬれないよう、清水寺舞台の屋根の下の部分に席を置きますので、ご心配にならないでください。
そして、晴れの時とはまた違った素敵な雨の香り、音も加わった特別な夜をお楽しみいただけると思います。
それでは、清水寺でお待ちしています。
ギゼラと言う81歳のお婆さんがいます。
私がドイツに留学していた時、国内情勢は大きく揺れていて、東西ドイツが間もなく統一されようとしている時期でした。
まだ私もその頃はドイツ語が流暢には話せなかったのですが、そんな時期に一度、国境を越えて東ドイツのドレスデンという街に演奏会をしに行った事がありました。
ギゼラはその旅で出逢い、ホームステイ先のお母さんとして世話になった女性です。
当時の東ドイツは本当に貧しくて、ドレスデン市にあるお店に行ったら、玉ねぎと何百というレーニンの胸像の2種類だけが売られていてビックリした事を今でもよく覚えています。
ギゼラの家にホームステイしたのは、マイナス20度という冬の寒い時期でした。
まるでアンデルセン童話に出てきそうな煙突のあるメルヘンチックな小さな家に暮らしていて、凍る思いでリハーサルから戻ってきた私に暖かいお茶を入れて、冷えた体を温める足湯も薪で炊いてまるで実の娘のように可愛がってくれました。
大声で歯ぐきまで見えるほど大きく口を開けて豪快に笑うギゼラの笑顔は、全身が骨まで凍るような寒さも、バターもお肉も石鹸もトイレットペーパーも手に入らない厳しい生活も吹き飛ばすほどのパワーがありました。
ドイツでナチスが政権を獲得した時代に生まれたギゼラは、ある若き青春の日、初めて恋をして、その男性と結ばれ、相手の男性の名も住所も訪ねないまま別れたのですが、その数カ月後、そのたった一度きりの夜に子供を妊娠したことがわかり、当時では社会的には認められなかった「未婚の母」となって女手一人で家族を支え続けた逞しい女性です。
どんなに物資が乏しく、材料が足りなくても、アイデアマンのギゼラの手にかかるとまるで魔法にかかったように美味しいケーキが出来上がったり、たちまち体が温まったり、お姫様のように素敵な寝室にデコレーションしてくれたり、と私にはとってはドレスデンでの毎日が驚きの連続でした。
その後ドイツが統一され、物資がまるで洪水のように東ドイツにも流れ込み、誰もが自由に国外に出ることが出来るようになると、早速彼女は旅を始めるようになりました。
それも、苦手な飛行機には乗らないで、どこまでもバスで。
私がスペインに住むようになった時にも、ドイツからバスに乗ってフランスを通り、ピレネー山脈を越えて片道3日もかけて会いに来てくれたことがありました。
お土産にドレスデンで焼いたギゼラ得意の卵ケーキをスペインまで持ってきてくれたのですが、あまりにも有難くて、もったいなくて、食べられないまま気が付いたら石のように硬くなっていて、それでもずっと下宿部屋に大事に取っておいた事を今でも思い出します。
ギゼラと最後に話をしたのは先週の月曜日でした。
インターネット電話で聞こえてくる彼女の声は昔と変わらないのに、その横には立派に大きくなったお祖母ちゃん思いのギゼラの孫がベッドに横たわる彼女を支え付き添っていました。
「ギゼラが得意だった卵ケーキがまた食べたいな」と伝えると、
「いつでも食べにおいで、作って待ってるよ」
そう言って笑う彼女の声が、私が聞いた最期のギゼラの声となってしまいました。
一昨日、まるで眠るように亡くなったと、ギゼラの家族から連絡がありました。
そして、彼女から託された文章を送ります、とメールが送られて来ました。
その文章を開けたとたん、涙が止まらなくなってしまいました。
「ギゼラの卵ケーキのレシピ」だったのです。
引越カオスが多少落ち着き始めて、ようやく人間らしい生活が営めるようになった所なのですが、明日からまた北スペイン、ガリシア地方に旅に出る事になりました。
今回はまず、サンティアゴ・デ・コンポステラに行って、その後オ・グロベという港町で震災支援の為のイベントがあって、そこでピアノを弾くことになりました。
私は敬虔なキリスト教徒でも仏教徒でもなく、所属する宗教はありませんが、色々な場所を旅をしていて、不思議な力がある場所は本当に存在するのだと思う事が良くあります。
旅をしているうちに本当に気に入ってしまって、何度もその場所に戻るようになった場所の一つがサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂です。
大聖堂に入ると、まるで熱いお風呂にでも入ったかのようにウワ―っと込み上げる熱さがあって、しばらくするとサッパリスッキリして元気になるような不思議な力がある場所です。
お風呂上がり気分などと言っては罰が当たりますが、この大聖堂を訪れた後に飲む地ビールがまた美味しいんだなぁ・・・・。
土曜日にマドリッドに戻る予定です。